どうして人は自分と違う事を否定するんですか?
初めて質問させて頂く小花です。
私は、幼い頃から少々変わっていて不思議な物や神仏に関する事、古い本(雨月物語等)が好きで、独特な性格だった為、小・中学とイジメられました。
大人になった今でさえ、上記のものが好きだと言うと引かれます。
私は、例え変わっている趣味でも否定はしません。
否定する人は、何故否定するんでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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色んな人がいる一端
単細胞生物は自分とほとんど同じコピーを増やしていくことで(種として)生き残っちゃったタイプですが、人間みたいなのは違いを作ることで生き残っちゃったタイプです。だから違いを認める人もいれば否定する人もいる。そういう違いが有る種族なんです。そうして暗いとこも明るいとこも、乾燥したとこ湿気てるとこ、あらゆる所に住み着いて来たのですから、それで世界の真理なんです。だからしゃーない。そういうモンです。
お釈迦さまは言いました。怨憎会苦(おんぞうえく)と。会いたくない人と会ってしまう苦は思い通りにならない。
違いを否定する人と、違いを認める人が出会う…それだけで人間は心に苦を生んでしまう。否定する側は否定するがゆえに自分自身で面白くない思いをし、否定された側は否定されたがゆえに面白くない思いをする。んなことやってりゃ、どこ行っても人生面白くないことばかりですわ。馬鹿馬鹿しい。ええ加減にせいってんです。それが馬鹿馬鹿しいことであると知り、いい加減にしようとすることが智慧です。
逆に言えば、違いを否定する心は煩悩なんですよね。煩悩だから誰もがその種を持っているわけです。そしてその種が活性化しているかどうかの違いでしか無いわけです。そういう意味で、違いを否定するのは人の性(さが)なんですよ、残念ながら。。。
だから逃げられない。逃げられない以上は、こちらが上手く立ち回るしかないのです。私も表向きの趣味と、実は…な趣味を使い分けて自己紹介しています。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
そうですよね、こちらから上手く立ち回らないといけませんね。
あまり気にせずに、私も歴表向きの趣味を人に話したいと思います。