母を助けてください
母子家庭の高校生です。
母方の家系は霊感?というものがあるらしく
曽祖母も祖母も母も霊と呼ばれるものが見えるそうです。
私は幼い頃は見えていたようですが今はあまり信じていません。
とりわけ母は見る力?が強いらしく今でもよく何かが見えるそうです。何かによって今まで良くない目にあったこともあるそうです。
ここから本題に入ります。
私の母は幼い頃からほぼ毎日悪夢を見ています。
化け物が出てきて、夢の中で殺されたら
実際に死んでしまうと言われて襲いかかられる夢だそうです。その夢の中でまだ幼い母は自分がいつ死ぬかを告げられたそうなのです。
その「自分の死ぬ日」というのは
母の誕生日でもある10月6日なのです。
今年のです。
先ほど母から「自分は近々死ぬ、あなたを幸せにできたかな?」
といったようなメールが来ました。
母は夢で告げられた死を信じきっています。
そんなことあるわけないと私は母に何度か言ってみましたが
幼い頃からほぼ毎日のように刷り込まれてきた死の印象には太刀打ちできません。
夢で言われた通りに死ぬ、なんてことあるはずが
ないと言いながら、私も多少信じてしまっている部分もあります。
本当にその日に母が死んでしまうかもしれないと考えると怖いのです。
せめてその日は母の側にいたいのですが、部活の大会があり遠くに行ってしまいます。
何かあっても私にはどうすることも出来ません。
こういった事もあって「何かが母を守るものを引き離しているんじゃないか」と非現実的なことを考えてしまいます。
私1人じゃどうすることも出来ません。
母は正直生きることを諦めているような感じがします。
それに先ほども述べましたが母は今までにそういった霊や不思議な力?でひどい目にあったこともあるそうなので今回も抗う気が無さそうです。
私はこんなことで母が死ぬと思いたくありません。でも例えばその日にもし母が事故にでも遭ったとしたら生きようと救急車を呼んだりせずに死を受け入れてしまったりしそうで怖いのです。
母を失いたくありません。
私はどうしたら良いのでしょう。
助けてください。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
大丈夫、運命は動かせる
お母さん、心配ですね。
霊感や夢に関しては色々な見方があるでしょうが、私も身内や友人にある方がいるので(自分はサッパリなしですが)理解はあるほうです。
かつて1999年、ノストラダムスの大予言で地球が滅びると言われていて、本当に多くの方が信じていました。
私も半信半疑でしたが、やっぱり少し不安でした。
とりあえず何もなく終わり、そこでやっと安心しました。
ですから今年の10月6日をとりあえず無事に過ごすことが、まず何よりでしょう。
部活の大会を休むって手もありますし、逆に大会を見に来てもらうとかも一案です。
親戚、友人、テレビ電話、色々な方法が考えられます。
仮に、その日に死ぬ運命だとしても、運命は「命を運ぶ」と書きます。
動かすことができるわけです。
とにかく行動しましょう。
霊感があるお母さんなら、余計に神社仏閣にお参りしてご加護を頂けるようにお祈りしに行きましょう。
ぜひ一緒に行ってあげましょう。
命は有限だからこそ今の一時にご縁をもって生きていることは尊いんです。
きっと大丈夫だというのを前提にしながらも、これまで以上に親子で過ごす時間を充実させていくことも良いことと思いますよ。
『お詫び』
投稿した文章は仏典・論書・祖録等を引用して予め法理を明示しなかった為に、回答内容が仏教とは異なった通俗的な価値観に比重を置いたアドバイスになっておりました。
この回答が仏教を学ばれる方々の妨げとなる可能性がありましたので、まことに勝手ながら回答を全て削除させていただきました。
代わりにここでは、仏教の概要を少し紹介させて頂きたいと思います。
『仏道』
仏教の門戸とその修行法は多種多様でありますが、その道のりの先にあるのは解脱です。
大乗仏教では、菩提心がその人に現れる時から仏道は始まり、数多の転生を繰り返し、数多の大師や仏菩薩と出逢いながら、久遠の修行の時を経て、その人の全てが捧げ尽くされ、そこで菩提心が開示されます。
道の始まりから人は、菩提心に導かれ解脱へ辿り着きますが、そこで悟るものも菩提心です。
道の初め、自らの苦しみからの解放を求める切なる純粋欲求であった個人的な菩提心はやがて、すべての存在を救いたいという祈りに裏打ちされた不屈の意志と信心をその人に刻み付け、非個人的な菩提心が解放されます。
そのような菩提心と與に道を歩む人を菩薩と呼びますが、菩薩の意志や信心、原動力の源が解脱の時に悟ることになる菩提心です。
菩薩が歩む大道の上には、見道や解脱、その先に続く仏としての完全な成就の因となる多種多様な修行が立ち現れます。
日本仏教という道もこの大道を源としているので、全ての道はそこへ還りつくようになっています。
その人の道はその人にとっての真性の師である覚者との邂逅や、久遠の時を與にしながら道を歩んだ法友との再会によって開かれ導かれていく歩みであると伝わっております。
どうかおん様の出逢いとその歩みの上に障碍がありませんように。
願以此功徳
普及於一切
我等與衆生
皆共成仏道
合掌


