自分の生きる道。
自分精神病により45歳で無職になりました。
今は戸建てに1人で住んでます。
今年に離婚し。皆家から出ていきました。
1人ぼっちになりました。
五年前から病気になり去年は一年間休職。
今年復職しようとしたが、会社から離職という判断。
辞めたくなかった!続けたかった…
そして離婚…
自分には親はいません。
誰にも相談出来ず。話し相手すらいません。
これからどうしたらいいのか全くわかりません。
こんな事を言ってはいけないが
消えようとも思う事もあります。
自分はなにをして頑張っていけばいいのか。
何のために頑張ればいいのか?
わからない。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
本当にお辛いと思います。
病気で離職し、ご家族とも離れ、話し相手もほとんどいらっしゃらないのですね。
本当にお辛いと思います。
あなたとは年齢も近いし、同じような状況を私も経験したことがあるので、本当にお辛いんだろうなと、想像しております。
正直、どうしたらいいのかは、私にもわかりません。
浄土真宗では、「王舎城の悲劇」を重視します。
これは、阿闍世という王子が、父である王を殺し、母である韋提希夫人を殺そうとする、不幸な家庭の話です。
誰だって、こんな辛い状況、こんな辛い家庭は嫌だと思うでしょう。
韋提希は、なんでこんな悪い子を産んだのだ、なんでこんなひどい目に会うのだ、とお釈迦様に泣きつきます。
阿闍世は父を殺した罪悪に耐え切れず、心の負担から、重い病気にかかります。
つね日頃の私達は、都合の悪い状況を変えることで、不幸を回避し、幸せになろうとします。
しかし、韋提希は阿闍世のような状況では、すでに起こってしまった不幸な状況はどうにもならないのです。
お釈迦様とて、父王を生き返らせることはできませんし、阿闍世の罪を消すこともできません。
しかし、阿闍世と韋提希は、お釈迦様の智慧の光、慈悲の光を受けることによって、回心します。
回心とは、生き方の大転換と捉えていただければよいでしょう。
辛い状況で、自分自身を見捨ててしまうような状況でも、阿闍世と韋提希は、お釈迦様は自分たちを見捨てなかったことに気が付かされたのです。
そして仏弟子として、他の人に仏教を伝える生き方をしたいと望むようになりました。
もし、機会がありましたら、お寺に出向き、法話を聞いてみてください。
他宗派の法話事情はわからないのですが、浄土真宗ならば、「浄土真宗の法話案内」
http://shinshuhouwa.info/
というサイトを見てください。
それから、自殺しないでくださいね。
あなた自身があなたを見捨ててしまっても、あなたを見捨てない他者が必ずいます。
あなたが死んだら悲しむ人が必ずいます。
私はあなたにお会いしたことはないけれど、あなたが死んだら、やはり悲しいです。
ただ、あなたが、自殺したいほど苦しい、という事実だけは受け取らせていただきます。
そのくらい苦しい、という気持ちはどうか、このような場で吐き出してください。