hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

生きていてはいけない人間はいるのか

回答数回答 2
有り難し有り難し 15

書いている内にダラダラと長くなってしまったので、質問内容をできる範囲で簡潔に書きます。「働きたくない、それのために努力もしない、ゲームばかりする人間で、それが周りに分かれば自殺する人間は感情論などを抜きにして死ぬより生きる方が周りに迷惑なので死ぬべきか」です。
今学年上では大学4年ですが、実質的には大学3年です。その理由は、研究室に入らず、内定も決まっていないからです。
ですが、そのことは家族や友人など周りの人には隠しています。その始まりは研究室選びの時期を間違えたことが原因でした。
元々やる気も無かったのですが、研究室に入っても毎日大変で、それが終わっても就職して働くことを考えたら今死んだほうが良いと考え、道具や場所などを考え、イメトレをしました。
それでも本当にバレるまでの間は遊んでから死ぬことを選びました。しかし嘘の日程である内定式ももう明日には迎えるので、きっと死ぬだろうと思います。好きなときに遊べないのならば生きようとは思いません。勉強もしたくありません。仕事したくもありません。
思えば子供の時も、もし犯罪を犯して懲役刑になったら自殺することを考えていました。そのくらいゲームなどの遊びは好きでした。
カウンセリングも9ヶ月ほど前にも受けましたが、やはりこんなクズは死ぬしか道はないと思います。
私自身の意見は、実際に自分の子がそんな子であると分かれば、無理矢理にでも働かせるか、勘当するかのどちらかであると思います。将来確実に働かないのであれば、養ってる意味がないからです。
私はそれが分かっているので、迷惑だとは思いますが自殺すれば迷惑や恥などの意識もなくなり関係ないので、自分としても楽だと思うし、迷惑かけ続けながら死ぬよりもそれが結果的に周りも最善であると思います。むしろ、生きていては今すぐ死ぬよりも他人を不幸にする人間であると思います。
しかし、このようなことを調べてもここまでのクズはいないのか、うつ病などの症状、自殺はダメなどの情報しか出ません。結局全く努力しない、非生産的な人間には価値はないと考えています。
なのでここならばより多い情報で正確な回答がもらえると感じ、質問しました。
結局は社会からも死ねと言われて死ぬことすらも正当化してもらおうとしているだけなのかもしれません。相談内容、文脈が滅茶苦茶なこと、長文であることすべて申し訳ありません。

2023年9月30日 6:24

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

よかれと思って

もう少し適当でよかったのではないかと思いました。

だいぶ期待されて生きていたのではありませんか。

『嘘の内定式』とおっしゃいましたけども
そのくらい、あなたへの圧力が強かったのではありませんか。

期待されるということは
それなりに自分の選択肢が狭まるということです。

期待がつらくなるときというのは
それが圧力に変わり依存に変わるときでしょう。

「期待されている」というのは一種「依存されている」ということです。
期待する側はタダですからね。

みんな期待に応えて頑張っている、というけれど実際は
みんな依存されて自分に嘘をつき続けている、ともいえるでしょう。

そう言われて「そんなことない!」って答えられる人そうそういないと思います。
さみだれうちさんがクズなら
私だって皆さんだって大概ですよ。
お互い様ではないでしょうか。

期待に応えるのはあくまで善意ですから。
善意のために死ぬことはないです。

よかれと思ってやっただけだ。

そのぐらいの気持ちで
『嘘の内定式』をとりあえず過ごしてみてください。

南無釈迦牟尼仏 合掌

2023年9月30日 7:04
{{count}}
有り難し
おきもち

吉井浩文
Buddhism. knowing what it actually i...
このお坊さんを応援する

あなたなりの考えで

拝読させて頂きました。
あなたが悩み苦しみながら生きておられることを読ませて頂きました。あなたはご自分が死んだ方がましだと思っておられるのですね。詳細な経緯はわからないですけれどもあなたのその辛いお気持ちは伝わってきます、あなたのお気持ち心よりお察しします。
ご質問の答えとして、生きていてはいけない人間はいません。まして非生産的な人間に生きる価値はあります。遊ぶことも働くことも生きていることです。私達人間の受け取り方や考えによって分けられているに過ぎません。人生のおおよそ三分の一は休んでいるのです、つまり眠っているのです、遊んでいるわけでもなく働いているわけでもありませんから死んでいる様にも見えます。そして私達は与えられた命や時間に限りがあるのです。必ず死は訪れますのであわてることはないと思います。
今あなたの頭の中では様々なしがらみや固定観念にとらわれてしまっているのではないかと感じます。「こうしなければいけない、ああならなければならない、こう生きなければならない、こう死ななければいけない」等々とらわれているのではありませんか。
ほんの少しずつでのあなたを縛り付けている考え方を手放してみてはいかがかと思います。
因みに考え方にもよるかもしれませんが、私達僧侶や宗教者は生産活動していません。僧侶をしながら様々な仕事を兼業なさっている方々もいるでしょうけれども本来なら生産性のないのが私達僧侶です。
私は僧侶としていきながら民生委員児童委員・人権擁護委員等の公務員をしておりますが、それは社会の中の福利厚生サービスの一環として勤めています。個人的な見解ですが、民生委員児童委員・人権擁護委員は私個人の遊びの部分でもあります。様々な形で他者と関わる遊びでもあるのです。ですから仕事も遊びも考え方次第で人それぞれ変わっているのです。何が正しいということは別にありません。
あなたに与えられた命も時間にも限りがあります。どうかこの世でのあなたの時間を有意義に遊びにも仕事にも使って下さいね。そして死は決して終わりではありません、一切何も無くなるわけではありません、一通過点です。
あなたがこれからの未来をあなたらしく心から豊かにおおらかに充実して生きていかれます様に心から祈ってます。そしてあなたを心より応援しています、またあなたの思いをお聞かせ下さいね。
先ずゆっくり眠って休んで下さいね

2023年9月30日 10:36
{{count}}
有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

書きたいことを書いて一回寝て,落ち着いて少し冷静になれた気がします.とりあえずもうちょっとだけ生きてみようと思います.ありがとうございます

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ