これからについて
他の質問の回答をみて私もはじめて質問させていただきます。
私は先日五年お付き合いさせてもらっていた女性に別れをつげられました。
私自身結婚も意識しており、これからの幸せなビジョンは見えておりましたが、就職もうまくいかず、付き合っている間に不安定な時期ばかり過ごし、彼女の一緒に住みたいという期待にも応えられず、彼女も結婚を意識する年齢なので、私といても未来も見えない中で情で付き合っていたけど他の人が好きになったという理由で別れを告げられました。
私は不器用でありまして、一緒にいる時間に感謝の言葉や愛情を表現することもほとんどなく、心の中でずっと大切に想っておりましたが、もっと伝えておけばよかったと悔やんでも悔やみきれない状況です。
別れを告げられたあとに必死に伝えようとしましたが、彼女も強い決心のもと決めたあとなので伝わることもありません。
私は今まだ求職中であるので、これから時間をかけても立派になってその姿をみせ、できればもう一度同じ未来をみたいと思っております。
そんな時不安になるのが、人は時が経てば忘れてしまうことです。彼女も私のことは忘れ、私も一緒にいれないとわかった時忘れてしまわないといけない、忘れるかもしれないというのが本当に怖くて、せっかくの縁で出会い、限りある人生の一時を過ごしたのに忘れてしまうのは儚くてやりきれない思いです。
人は忘れられた時どうなるのでしょうか?
やはり記憶は薄れ忘れていくのがさだめなのでしょうか?
これからも忘れずに生きていくことは可能なのでしょうか?
教えていただきたいと思っております。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
彼女の頭の中までは詮索しない
拝読致しました。
時代と共に婚期が遅くなっているとはいえ、適齢期を迎えた女性には、5年という期間は長すぎた春だったのかもしれませんね。少なくとも、徐々に淀み始めたお付き合いの中で、彼女に対して何等かの方法で安心を示して差し上げられなかったことが破局につながったのでしょうか。
例えば、求職中であることの不安や物質的な不満でしたら、不安要素に対して真摯に取り組む姿勢や、将来へ向けて段階的な小さな約束を共有するだけでも、彼女の背中をそっと後押ししてくれたかもしれません。
彼女が仰る「未来が見えない」というのは、「貴方の考えが分からない」に置き換えられるのではないでしょうか。
貴方の仰る「感謝の言葉や愛情を表現することもほとんど無かったが、心の中では大切に思っていた」は、独り善がりなのです。
「折角の縁で出会ったのに、忘れてしまうのは儚くてやりきれない」という解釈も、やはり貴方の独り善がりなのです。
求職中の貴方との未来がイメージ出来ないのではなくて、夫婦になって子どもが生まれて、今のままの貴方と居ることが想像出来なくなってしまったのではないでしょうか。「感謝の心」と「幸せ」が密接に関わり合っていることに気付き、それをアウトプットすることが大切だったのです。
既に彼女にはお相手がいらっしゃるようですので、今はただ彼女の幸せを願って差し上げることです。貴方が彼女との思い出を、これからの人生の糧として忘れずにいるのは結構なことですが、もう彼女の頭の中までは詮索しないことです。
お互いに別々の道を歩き始めて、縁があればこの先偶然の接点も訪れるかもしれません。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
結局は自分の思い通りにいかないことを嘆いているのかもしれません。
おもいは伝えなくても伝わるものだと思っておりましたが、それも独り善がりということをきちんと認識しておきます。
きちんと幸せを願い励んでまいります。