回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏教で四苦八苦を説くことと同様の意義がある、と思います
確かに、このサイトで質問を読んで回答を読んで「有り難し」をクリックするのは、基本的にはお坊さんの回答に対する「有り難し」という気持ちからだと思います。では、質問者は全く関係ないかというと、決してそんなことはないと思います。
仏教では、「四苦八苦」という教えを説きます。生老病死という苦は、我々の人生において避けて通れない苦しみです。生きていく中で、誰しもが必ず経験していくことです。生きている限り、向き合っていくしかない「苦」なのです。私自身が苦しんでいる時、世の中の他の人々も何らかの苦しみを抱えています。苦しいのは私だけではない。すぐ隣の人だけでもない。誰もが何らかの「苦」を抱え、苦しい思いをしているのです。
「苦」から完全に逃れることは出来ません。自分が苦しんでいる時、自分の苦しさを理解してくれる人が側に居てくれると幾らかは安らぐ気持ちになれると思います。苦しんでいる「私」をいたわってくれる人が居る。苦しんでいる「私」に寄り添ってくれる人が居る。そのことによって「苦」を完全になくすことは出来ませんが、生きていく上での支えとなったり励みとなったりします。
自分自身が「苦」を味わい「苦」を経験したからこそ、我々は他者の「苦」を理解し、他者をいたわり他者の「苦」に寄り添ってあげるべきなのです。「四苦八苦」は慈悲の出発点でもあるのです。
質問者がこのサイトに自分の悩みや疑問を投稿し、回答を得ます。質問者以外の多くの方々も質問と回答を見ておられます。それらの方々は、自分自身の経験や悩みをトレースしながら質問を読み、回答を読んでます。質問に共感し「自分自身の悩みと同じだなあ。」と感じる閲覧者も多いと思います。そして、「自分の悩みや疑問への回答でもあるなあ。」と感じたからこそ、「有り難し」をクリックするのだと思います。
質問をし回答を得ることは、他の閲覧者の方々にとって「励み」となったり「救い」となったりすることも多いと思います。閲覧者の方々にとって、質問と回答は一体のものであり、「よくぞ質問し、よくぞ回答してくれた」という気持ちから「有り難し」をクリックするのだと思います。「質問と回答」が他の方々の歩く道を照らす「明かり」になっていると思います。
その回答を引き出したのは質問者です
仏教は、因果、縁起の教えです。
すべての出来事は、相互に影響を及ぼし合っているという、事実を仏教では因果、縁起といいます。
その回答が書かれたということは、そのお坊さん一人だけではできないのです。
質問者の質問があったからこそ、その回答が書かれたわけです。
世の中には、単独でなりたっているものはなにひとつありません。
質問者からのお礼
ありがとうございます
質問者がいないとお坊さんはその回答を導きだすことが出来ませんよね
たくさんの有り難しがついている問答は、お坊さんのおかげだと思っていました
ありがとうございました
ありがとうございます
私も他の質問者の問答に共感したり、同じような悩みだ、と思うことがあります
そういう時は必ず有り難しを押しています
でもそれは質問者とお坊さんに対してですね
ありがとうございました