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もう辛い...

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有り難し有り難し 9

僕は前に質問したのですが
仏様や阿弥陀様に対してとても不謹慎で冒涜するかのようなとても残酷でここに書けないようなことが浮かんできます
なのでとても浮かんできた時に辛いし自分の本心じゃないのか?とも思ってしまいます。
僕はそれが浮かんできた時に考えるな考えるなと自分に独り言で言い聞かせたり〇〇なことは考えないと誰にも聞かれないところで独り言で言っていたりしているのですが浮かんできます
いま僕はとても辛いです。
なので仏壇で1日1回お参りして
ごめんなさいと謝っています
でも頭の中で考えてしまうだけでは仏様や阿弥陀様は許してくれますか?
あと浮かんでこなくするにはどうすればいいと思いますか?
とても辛いです...
あとお参りしている時にも反対のことが浮かんできたりするときがあるのでこれも僕は嫌です。
例えば地獄に落ちなくないと思うのですが地獄に落ちてみたいみたいな感じだと思います
あと僕は仏様に今日は何個か善い行いをしますと考えてそれの通りに学校で友達の物を拾ってあげたりとか、ティッシュを貸してあげたり、係りの仕事を手伝ったりもしています。
このことも阿弥陀様や仏様はわかってくれているのでしょうか?
仏様阿弥陀様ごめんなさい...浄土真宗の中学生です


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

池の水

Kソータさん初めまして
浄土宗の僧侶大乗です。

浄土宗と浄土真宗はともに
阿弥陀様に『おまかせ』する宗派ですのでお答えさせて頂きますね。

いきなりですが、
私の好きな法然上人(浄土宗の開祖)のお言葉に
『池の水 人の心に 似たりけり 濁り澄むこと さだめなければ』
というお言葉があります。

『池の水というのは人の心に似ているなぁ、雨が降ればたちまちに濁ったり、はたまたキレイに澄んだり落ち着かないのだから』
というような意味です。

まさに私たちの『心』の有様を見事に表現されています。

浄土宗、浄土真宗の人間観にはこのお歌のこころが流れているのです。

私たちは、このような濁ったり、澄んだり落ち着かない『心』を持って生きています。
時に思いたくもないこと、思ってはいけないようなことを思って心を濁しながら生きています。
私もそうです。
簡単にいうと『どうしようもない私』です。

しかし、そのどうしようもない私を
『どうにかしてやる』と見守りたもう
阿弥陀如来という仏様です。

こちらの心がこんな『池の水』のような有様であることは
とっくに阿弥陀様は承知です。
そのうえでそれでもよいから、それでもいいから
生きていけよ。心配ないぞ。

なむあみだぶ
と名を呼んでくれよ。

とKソータさんを見守ってくださっています。

親は子に
『おかあちゃん』と呼ばれ、頼られることが喜びで
子は『おかあちゃん』と呼び、頼りきれることがこの上ない喜びなんです。

どんな『心ざま』でも結構です。
それも承知でKソータさんがお仏壇で拝む姿や、ティッシュを貸してあげる姿をご覧になられていますから。

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有り難し
おきもち

生きるための仏教 生身の私達のための仏教 私たちが人生を歩む上...
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