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お経を毎日あげたい

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有り難し有り難し 4

以前、主人が突然死でなくなり一度相談させて頂きました。
その節は、大変お世話になりました。
また、一度お尋ねしたく、この場をお借りします。

主人が亡くなってから、もうすぐ3ヶ月になります。
できれば、毎朝 主人にお経をあげたいと思っています。
浄土宗西山禅林派なのですが、どのお経を毎朝あげたら宜しいでしょうか?

お忙しい中、恐縮ですがお返事願えればと思います。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

浄土教のお経として最も功徳があるのは、南無阿弥陀仏。これに勝るお経はないとも思いますけど。^ ^)/ でも経典を上げられたいということでしたら、無量寿経の中にある「四誓偈」というお経などがよろしいかと思います。これは、一切の救いを祈る心が、お経になったものですから、一切の救いを祈念しながらこのお経を唱え、ご主人の供養をされたら、ご主人の魂もさぞ喜ばれると思います。以下は、四誓偈のyou-tubeのアドレスです。https://www.youtube.com/watch?v=xyTmrkyigKU 経文もネットで手に入るのではないでしょうか? (浄土宗では、その他、阿弥陀経や真身観文(観無量寿経の一部)などのお経も唱えます。)ご主人の供養のためにお経を唱えられるのですね。誠に尊いことと存じます。、、、合掌。

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有り難し
おきもち

おきもちが子供達の笑顔になりました


遠藤喨及
僕はウイキペディアでは以下のように紹介されています。 「日本、アメリカ、...

質問者からのお礼

早々のお返事、ありがとうございました。

今、私が主人にできる事は限りがあると思います。
その限りがある中で、一つでも多くの事をさせて頂きたく、今回質問させて頂きました。
朝夕の一日2回ですが、お経を唱えながら主人との時間を大切にしていきます。

ありがとうございました。

「お経・経典」問答一覧

読経が何故供養になるのか教えてください。

お経を読むことがなぜ先祖や自分に関わりのある仏様の供養につながるのか? 大変罰当たりながら、そのような疑問を抱いてしまいました。 仮に例をあげますと、日蓮宗では法華経を読んで先祖供養などをされると思います。 法華経は釈迦が悟りを開いて亡くなられる前に最後の教えを説いたもので、 数ある経典の中でも最上の教えとされていると聞いたことがあります。 その素晴らしい教えを守り、帰依しますと宣言する=「南無妙法蓮華経」と題目を唱える。という事になるのでしょうが、なぜそれが供養につながるのか疑問です。 自分は先祖や仏様との何らかのつながりがあるから、その自分が題目を唱えることで先祖や仏様の過去の罪が軽くなり救われる。=先祖や仏様も成仏できるという考え方も確かに一理あると思います。 しかし、お経というのはただ聞いたり意味を知らずに読んだりすれば、まるで呪文のようでいかにも効果がありそうに思いますが・・・。 現代語に訳して意味を分かるようにしてみると、一つの物語をただ読んでいるにすぎないように思えてしまいます。 とてもありがたい教えが書かれていることは理解していますが、客観的に考えれば子供に絵本を読み聞かせているようなものではないかと思ってしまうのです。 子供ではなく対象が先祖や仏様へ、絵本がお経という物語へ変わっただけではないでしょうか・・・。 物語を読み聞かせる行為がなぜ供養につながるのか? 先祖供養のためによくお経を読む者として、大変疑問に思っています。 どうか教えてください。

有り難し有り難し 66
回答数回答 5

読経

昨日、母の初盆で自宅にお坊さんに来ていただき、読経していただきました。 今まで無宗教だのあの世は信じないだの威勢のいい言葉を並べて生きてきましたが、母の死に直面して、純粋に「苦楽から解放されてあの世では安らかに過ごして欲しい」との思いで父方の宗派の浄土真宗大谷派のお寺さんにお願いして節目の法要をお願いしています。 お坊さんの法話で、私たちが心配しなくても極楽浄土で過ごされているから心配は無用なんだとの旨を教えていただき、少しずつ自分でもネットで調べて仏教に触れ、今まで無知だった仏教に対しての印象も段々と変わってきました。 そんな私のお坊さんに対する疑問ですが、母の法事のお坊さんの読経中は生前の母は「こんなことあったな」「あんなことあったな」と色々思いを馳せたり、お坊さんの「南無阿弥陀仏」が聞き取れた時はお坊さんの言葉に重ねて頭の中で南無阿弥陀仏と唱えているのですが、未熟なものでそのうち「お経長いな」とか「お坊さん、歌うまそうだな」とか「お経は何て言ってるのかな」とか色々と雑念がわいてきて、母や法事と無関係なことを考えてしまいます。正直お経の意味すら知らない自分が読経に合わせて手を合わせることに意味があるのかなんていう素朴な疑問もよぎります。 自分でも失礼だと思うし、「せめて今日ぐらいはお袋や先祖さま、お袋も可愛がっていた先代のペットのことを考えてやれよ!」と自分自身に突っ込みをいれたくもなるのですが、失礼な言い方ですが読経に自分でか「飽きてしまってる自分」もいるのだと思います。 そこでお坊さん方にお聞きしたいのですが、法事はもちろんこれからも参列する機会もたくさんあると思いますが、お葬式やお通夜など含めてお坊さんの読経中はどういった心持ちでいるべきなのでしょうか? もし同じような雑念が出てきてしまったら、どのように持ち直す?脱線を修正したらよいでしょうか? またお坊さんたちは自身のお勤めの際、どのようなお気持ちで読経なさるのですか?例えば劇の時のように、感情を込めてそのたちばになりきるように、お経の中の言葉の意味に思いを込めて唱えられるのでしょう?また同じような雑念がわくことはありますか? 子供じみた質問で申し訳ありません。

有り難し有り難し 12
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