お経を読むことは笑い物にされることなのか
いつもの深刻な相談とは違って、ちょっと息抜き的な質問です。
ヒロシってお笑い芸人いますよね。彼のネタの中に、「ヒロシです。毎日決まった時間になると隣の部屋からお経が聞こえてくるとです」というのがありますが、あれはお坊様方が見るとどういう気持ちになるんでしょうか?
僧侶ではない僕でも、お経を読むことが笑われるネタとして成立するくらいの奇行扱いされてることに末法を感じるのですが。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
得意な楽器は木魚ですけど、なにか?
私もお経をあげるとか、座禅をするとか話すと笑われる時あります。
得意な楽器は木魚でしょ?とか。いわれます^_^
でもそれはその人の価値観。人の価値観に振り回されて自分の修行になっていないことを教えていただいた瞬間とも言えるでしょ。
自分は自分の修行をきちんとして、そんなこといっている人たちもみんな救ってあげちゃいましょ。
そんな気持ちで穏やかに過ごしたら良いです。
楽しく修行ライフ充実させましょう。
ヒロシに対して、嫌とも悪いとも思わない。
「あぁ、そういう人もいるんだろな…」
という程度にしか思わないようにしています。
ただ
そのような状況を招いたのは
我々僧侶側に責任があるので
一緒に笑ってはいられないです。
すみません
お経を不気味なもの、奇異だと思っている人が日本にいるのは事実でしょうね。
それは偏に我々僧侶の布教不足が原因でしょうね。
お経と言えば葬式、葬式といえば死ということで、お経に怖いイメージを持っている人もいるでしょうね。
また、お仏壇がない家庭や、お年寄りと同居していない家庭が増えて、お仏壇に向かってお経を唱えるという文化の継承が途絶えつつある可能性もありますね。
まぁ、たとえば現代においてちょんまげをしている人や袴姿で仕事しているサラリーマンがいたら奇異に見えます。
冷静で明晰な客観視と自浄精神や教導精神が僧侶にあるかどうか
フツーに笑われて滑稽に思われているという現実がある。
何やらよくワケの分からんことをやっていると思われている現実があるのにその現実を坊さんもみつめようとしないという事も問題なのだと思います。
私が僧侶であってもなくても、実際日本の坊さんたちが広めている仏教の内容が「そういうレベルのまま」であるから誤解をされて笑いものにされているということ。西洋でポクポクやってたら滑稽だと思われますよ。もちろん、読経というものは第三者から誤解されようとも、その行為自体はわたくしルールや私的な価値観が持ち込まれない神聖な行です。ですが、それは仏教業界ルール。
僧侶は涼しい顔して「そういう風に言う当の本人の問題です」的な論も成り立ちます。ですが、そんなドライな俯瞰では、現状維持なので何も変わらんでしょう。
実際、仏教とは関係ない人は変な風に思っている現実があるのですから。
わたしは、そこで僧侶の一人一人が、あるいは仏教者の一人一人がそこでちゃんとした人を導く精神をもって読経に臨んでおられるか?ということが問われるべきだと思いますよ。
とある霊園に行きますと、ロボットの坊さんが読経を始めるのです。珍妙な姿だと思いましたが、世間の人々がそれでいいといっている末法な現実もある。
僧侶たちの教導精神のなさ、菩提心の無さ、見識の無さ、導き先の無さ…。
単にお経という文言を訳も分からずありがたがって読んでいるような僧侶も現実には多いと思うのですよ。
さて
「お経を読むことは笑いものにされることなのか。」
この問いはあなたも若手僧侶さんたちと共に大事に追及していかれたら良い仏教心が芽生えることでしょう。
👹「いや、現実に笑いものにされているぞ!」と私は思っております。
修行道場時代に後輩僧侶さんたちにエラソーにもこんなことを言ったことがあります。
釈尊は現代僧侶みたいにお経をポクポクと読んだことなんてない。生きた、生のことばで真実の説法を説かれた。それがお経だ。その救いのある生きた内容こそがお経だ。我々は何をやっているのか。お経の意味も分からずに、真意を伝えることもせずに、読経ということに逃げていないか?さぁ生きたお経とはなにか?
生きたお経が説ける人が増える良いご質問、有難し。
丹下です…読者からお礼の手紙をいただきました。宛名にこう書いてありました。凡下…一本足りません。一本足りない凡下です…。
お経▷お葬式▷暗いこと 心の中の仮想ですね。
花果山さま
ご質問ありがとうございます。
日曜夕方の番組で 小ウケ(笑い声合成) されていましたね。
仏教やお坊さんが、お葬式や法事の時にしか関わらない人。何か悲しい時にしか接しないもの。こう捉えている人が多いのですね。
テレビの制作側やネタの作家さんも、昭和〜平成の意識から進化していないのでしょう。ある意味、視聴者よりも遅れた感覚のネタ、放送でした。
きっと局やタレントさんの事務所にご指摘の電話やメールがあったことと思います。
そのような事実を見ると、仏教がまだまだ特別なもの、距離を置いてしまうものとして、布教できていない至らなさを反省してしまいます。
今、成される寺の行事も、始まった頃は奇抜なアイデアだったのに、それが伝統や習わしとなり、退屈なものになっているのでしょう。
その意味で、仏教(仏の教え)をweb3や身近なtech で紹介している若き布教者先生方には応援したくなりますね。
hasunoha さんもその一躍を担われていると思います。
もっと気楽に♪ホトケさま.
拝
質問者からのお礼
お坊様方、ありがとうございました。そして返信が遅れてすみません。
僕のような無責任者はただ腹が立つだけで済ませていますが、仏教がそう受け止められているということを自分たちの責任と受け止めるお坊様方の精神は僕がハシゴを掛けても及ぶものではありません。本当にありがとうございました。