hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

お経を読むことは笑い物にされることなのか

回答数回答 5
有り難し有り難し 52

いつもの深刻な相談とは違って、ちょっと息抜き的な質問です。

ヒロシってお笑い芸人いますよね。彼のネタの中に、「ヒロシです。毎日決まった時間になると隣の部屋からお経が聞こえてくるとです」というのがありますが、あれはお坊様方が見るとどういう気持ちになるんでしょうか?
僧侶ではない僕でも、お経を読むことが笑われるネタとして成立するくらいの奇行扱いされてることに末法を感じるのですが。

2023年12月11日 8:32

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

得意な楽器は木魚ですけど、なにか?

私もお経をあげるとか、座禅をするとか話すと笑われる時あります。
得意な楽器は木魚でしょ?とか。いわれます^_^
でもそれはその人の価値観。人の価値観に振り回されて自分の修行になっていないことを教えていただいた瞬間とも言えるでしょ。

自分は自分の修行をきちんとして、そんなこといっている人たちもみんな救ってあげちゃいましょ。
そんな気持ちで穏やかに過ごしたら良いです。
楽しく修行ライフ充実させましょう。

2023年12月11日 16:46
{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

ヒロシに対して、嫌とも悪いとも思わない。

「あぁ、そういう人もいるんだろな…」
という程度にしか思わないようにしています。

ただ
そのような状況を招いたのは
我々僧侶側に責任があるので
一緒に笑ってはいられないです。

2023年12月12日 10:03
{{count}}
有り難し
おきもち

 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱サラし、親戚筋の超覚寺に入寺、45歳で住職継職。  遺族の分かち合いやお悩み相談などグリーフサポート活動を続け、お寺の掲示板による法語伝道にも尽力している。カープ坊主の会会員。
こちらに法事が入っていなければ、ご希望の日時に相談させていただきます。 想いを吐き出しても、あなたの環境は変わりませんが、あなたの気持ちは変わっていきます。 どうぞ安心してお話しください。

すみません

お経を不気味なもの、奇異だと思っている人が日本にいるのは事実でしょうね。
それは偏に我々僧侶の布教不足が原因でしょうね。
お経と言えば葬式、葬式といえば死ということで、お経に怖いイメージを持っている人もいるでしょうね。
また、お仏壇がない家庭や、お年寄りと同居していない家庭が増えて、お仏壇に向かってお経を唱えるという文化の継承が途絶えつつある可能性もありますね。
まぁ、たとえば現代においてちょんまげをしている人や袴姿で仕事しているサラリーマンがいたら奇異に見えます。

2023年12月11日 13:00
{{count}}
有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

冷静で明晰な客観視と自浄精神や教導精神が僧侶にあるかどうか

フツーに笑われて滑稽に思われているという現実がある。
何やらよくワケの分からんことをやっていると思われている現実があるのにその現実を坊さんもみつめようとしないという事も問題なのだと思います。
私が僧侶であってもなくても、実際日本の坊さんたちが広めている仏教の内容が「そういうレベルのまま」であるから誤解をされて笑いものにされているということ。西洋でポクポクやってたら滑稽だと思われますよ。もちろん、読経というものは第三者から誤解されようとも、その行為自体はわたくしルールや私的な価値観が持ち込まれない神聖な行です。ですが、それは仏教業界ルール。
僧侶は涼しい顔して「そういう風に言う当の本人の問題です」的な論も成り立ちます。ですが、そんなドライな俯瞰では、現状維持なので何も変わらんでしょう。
実際、仏教とは関係ない人は変な風に思っている現実があるのですから。
わたしは、そこで僧侶の一人一人が、あるいは仏教者の一人一人がそこでちゃんとした人を導く精神をもって読経に臨んでおられるか?ということが問われるべきだと思いますよ。
とある霊園に行きますと、ロボットの坊さんが読経を始めるのです。珍妙な姿だと思いましたが、世間の人々がそれでいいといっている末法な現実もある。
僧侶たちの教導精神のなさ、菩提心の無さ、見識の無さ、導き先の無さ…。
単にお経という文言を訳も分からずありがたがって読んでいるような僧侶も現実には多いと思うのですよ。
さて
「お経を読むことは笑いものにされることなのか。」
この問いはあなたも若手僧侶さんたちと共に大事に追及していかれたら良い仏教心が芽生えることでしょう。
👹「いや、現実に笑いものにされているぞ!」と私は思っております。
修行道場時代に後輩僧侶さんたちにエラソーにもこんなことを言ったことがあります。
釈尊は現代僧侶みたいにお経をポクポクと読んだことなんてない。生きた、生のことばで真実の説法を説かれた。それがお経だ。その救いのある生きた内容こそがお経だ。我々は何をやっているのか。お経の意味も分からずに、真意を伝えることもせずに、読経ということに逃げていないか?さぁ生きたお経とはなにか?
生きたお経が説ける人が増える良いご質問、有難し。
丹下です…読者からお礼の手紙をいただきました。宛名にこう書いてありました。凡下…一本足りません。一本足りない凡下です…。

2023年12月13日 0:01
{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

お経▷お葬式▷暗いこと 心の中の仮想ですね。

花果山さま

ご質問ありがとうございます。
日曜夕方の番組で 小ウケ(笑い声合成) されていましたね。

仏教やお坊さんが、お葬式や法事の時にしか関わらない人。何か悲しい時にしか接しないもの。こう捉えている人が多いのですね。

テレビの制作側やネタの作家さんも、昭和〜平成の意識から進化していないのでしょう。ある意味、視聴者よりも遅れた感覚のネタ、放送でした。

きっと局やタレントさんの事務所にご指摘の電話やメールがあったことと思います。

そのような事実を見ると、仏教がまだまだ特別なもの、距離を置いてしまうものとして、布教できていない至らなさを反省してしまいます。

今、成される寺の行事も、始まった頃は奇抜なアイデアだったのに、それが伝統や習わしとなり、退屈なものになっているのでしょう。

その意味で、仏教(仏の教え)をweb3や身近なtech で紹介している若き布教者先生方には応援したくなりますね。

hasunoha さんもその一躍を担われていると思います。

もっと気楽に♪ホトケさま.

2023年12月11日 19:50
{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
勤め人時代はマスコミ、医療、コンサル(経営・アセット)。都内の大学で週1コマ担当。
医業経営コンサルタント、宅地建物取引士、大学講師 お急ぎの方はお電話も可能です。

質問者からのお礼

お坊様方、ありがとうございました。そして返信が遅れてすみません。

僕のような無責任者はただ腹が立つだけで済ませていますが、仏教がそう受け止められているということを自分たちの責任と受け止めるお坊様方の精神は僕がハシゴを掛けても及ぶものではありません。本当にありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ