面識のない故人へ想いを伝えるには
初めて質問させていただきます。
一年ほど前、ある方が亡くなられました。芸能関係のお仕事をされている方です。
私とその方は直接的な面識はなく、また、私もその方の訃報を聞いた時は、表面的な悲しみの意しか持ちませんでした。
しかししばらくして、その方が私の人生において、とても重要な部分を育ててくれた方だということに気づき、また、とても自分と縁の深い方だということを知りました。
その時、自分でもびっくりするほど涙が溢れ、とても動揺し、深い後悔の念に囚われました。
なぜありがとうと伝えることが出来なかったのか。
あなたのおかげで私は今、胸を張って生きていられるのですと。
一方的な想いではありますが、一年が経とうとする今でも、ずっと胸の中にその後悔が渦巻いています。
どうすれば、この想いを故人に伝えることができるでしょうか。また、私の中で区切りをつけることができるでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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面識が無くとも世界は繋がっています
宗派によって切り口が違うところですが…
禅宗のお葬式のお位牌には「新帰元」(しんきげん)誰々と書きます。新たに元にいた場所に帰った…あるいは新たに元(はじめ)に帰ると読めます。
人は死ねば土に還ります。あるいは火葬にすれば煙となって立ちのぼり、空に還ります。そして川が流れ流れて海にいたり、空に立ちのぼって雲となり、雨となって地上に降り、また集まって川となるように、大自然の中に還っていきます。
晴れたら晴れの世界が、雨が降ったら雨なりの世界が…目の前に広がる今、この世界そのものが、故人です。だからこの世界そのものに親切であることが、そのまま故人を大切にすることに繋がります。
感謝と敬意の心をもって、晴れたら晴れの世界に、雨なら雨の世界にそっと手を合わせましょう。ご飯も残さず食べる、無駄な殺生はしない、ゴミもポイ捨てしないでリサイクルできるものはリサイクルに回す、そういった日常生活を丁寧に行うこと自体が、自然を供え養うこと、故人を供養することに繋がります。
そしてあなた自身もまた、その世界の一部です。だからだから故人さまに育ていただいたものを大切に生きましょう。誠実に生きることそれ自体が、故人に想いを伝えることに他ならなりません。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
この世界そのものが故人、という考え方なのですね…。手紙や、お参りといった、なにか特定の物にしか意識が向かなかった自分がいて、まさに目の前が開けた気分です。
日常生活を丁寧に行うこと、できるところから実践していこうと思います。
ありがとうございました。