やることが全部裏目に出てしまいます
何をやっても空回りが続きます。
もう半年ほど、追い風が吹きません。
自分の夢も分からなくなり、希望も薄れてきました。
物欲はあっても、心が貧しい状態です。
こんな年になって恥ずかしいと思っています。
否定ばかりされてきた幼少期の反動が今出てきた気がしています。
以前は掃除をしたり、お墓参りで心の整理ができましたが
今はそれでは解決できなくなりました。
客観的に自分を見るとダメだしばかりしてしまいます。
こんなみっともない当方ですが、
何が見えていないからこうなのでしょうか。
どうぞ、一隅の光を私に与えてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
法話を聞いてみたらいかがでしょうか?
仏教の最初は、お釈迦様が、「この世界のすべては、苦(苦悩)なのだ」(一切皆苦)と気がついたときにはじまります。
生まれること自体が死の原因です。
少年少女もいつかは老います。
健康な人も、いつかは病気になります。
そして必ず死にます。
身体が活動すれば、おもいどおりにならず、それもまた苦です。
愛する人、生き物、もの等との別れも必ずきます。
どんなお金持ち、どんな権力者でも欲しいもののすべてが手に入ることはありません。
自分を嫌っている人に必ず出会ってしまう、自分が嫌いな人に必ず出会ってしまう。
この8つを、四苦八苦といいます。
釈尊は、これを「特別不幸な人だけの問題」とは捉えなかったのです。
釈尊は、少年時代から、こういう疑問を持っていたそうです。
また、出家したときの釈尊は29歳。
若く、健康で、王子という地位があり、父母、妻子もいました。
一般的なものの見方(世間の見方、娑婆の見方)なら、「苦なんてないはずの人」だったはずです。
しかし、釈尊は、一切皆苦、四苦八苦に気が付きました。
仏教は、誰にとっても苦しい、誰にとっても四苦八苦から逃れられない、この世界を生きていくための教えです。
宗派によって、方法は違いますが、仏教の目的は「苦」と向き合うこと、というのはどの宗派も変わりません。
私の所属している浄土真宗は「聞く宗教」です。
お寺等の会場に足を運び、お坊さんの、説法(説教、法話ともいいます)を聞くのです。
浄土真宗の宗祖、親鸞は、「聞思」という言葉を使っています。
聞は、聞法。
法話を聞くことです。
思は思索。
聞いたら、自分なりに感じ、考えることです。
浄土真宗の法話は
浄土真宗の法話案内
http://shinshuhouwa.info/
というサイトで探せます。
きっと生きるヒントがあるはずです。
世の中、大概は上手くいかない
こんばんは。私たちが赤ちゃんで生まれた時、両親は大抵「この子には苦労させたくない、幸せにしてやりたい」と思って、「この子の願いや求めには、出来るだけ応じてやろう、そう、全力で」とか決心するようです。それはマァ美しい親心なのですが、それは「いつまでも」ではありません。おおよそ、「幼稚園入園までには、願いが叶う確率は半分くらいにコントロールすべし」と言われます。社会に出て生きていくというのは、イコール欲求不満耐性を身につけることなのです。大人になればストレートな「願い」のうち、叶うのは一桁パーセントでしょうか。貴女の実感としては如何ですか?
また人間は、回数を重ねると慣れて自動的に、心を余り動かさずに物事ができるようになります。「無事にしっかり歯が磨けた」というのは2歳の子どもにとっては大喜びですが、4歳にとっては何でもありません。歩みを重ねてきた人に取って「なんでもないこと」が、初心者にとっては輝かしい業績に見えるのです。同じことを成し遂げているのに。
なので私からの取っ掛かりとしては、「そうじが終わったら、そのキレイになった部屋なり物なりを、じっくり眺めてみる」をお勧めします。「あーおわった、さてあの案件は…」とか、即仕事のことを考えたりしていませんか?
心の整理において、掃除は死ぬまで有効ですよ。
追記
「お礼」、拝読いたしました。苦しい胸の内を明かしてくださったこと、尊いお姿と存じます。かつ、過去は過去として今更取り戻すことはできない、それも弁えていらっしゃる。仰るように、生家から出られた時が、貴女の「第二の誕生日」であったのでしょう。貴女が真摯にご自身の来歴や現況に立ち向かっている、その姿が見えます。私たちの年代は、新しいことを一から作るより、既に持っている物の組み合わせ方により成果を上げやすいと聞いたことがあります。いまご自身の手持ちのこと、当たり前にできることへ、今までと異なった視点から見ることで、もしや新しい何かが見えるやも知れません。応援しております。お身体を大切に。
質問者からのお礼
因速寺 佐藤様
ご多用のところ、当方にお目を掛けて頂き、さらに早々にご回答頂き、感謝申し上げます。
お釈迦のお話は存じ上げておりましたが、もっと尊い方の苦悩と思っておりました。
法話をお伺いするとの助言を頂き、是非参加してみようと少し気持ちが明るくなりました。
このようなご縁を頂けることは、まだ救ってくださる方が居ることだと、改めて感謝致しました。
光圓寺
佐藤様
貴重なお時間、また、温かいお話を頂きまして、感謝申し上げます。
恥ずかしながら、父は初産の母に嫡男が生まれなかったことを罵り、
当方の誕生を喜ばず、暫く面会にいかなかったことを余所様に笑い話にする始末でした。
それ以来、両親は当方の成長を喜ばず、当方も全く褒められた思い出がありません。
大人になって、一人暮らしを始めてからやっと、夢が叶う有り難さや楽しさを感じました。
もしかすると、埋まらない過去の寂しさが原因で疲れきっているのかもしれない、と気付きました。
仰る通り、一心不乱に掃除をして、その後を眺めて心を整えてみます。有難うございます。
光圓寺
佐藤様
勿体無くも、追記まで頂戴しまして、恐縮でございます。
両親とは残念ながら距離を取っておりますが、恨み辛みはございません。
先ほど、ぼんやり考えてみましたが、私は空回りしつつも気付きがあって幸せかもしれません。
ご教示頂いたことに素直に取り組んで、正解でした。
改めて感謝申し上げます。