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家族仲

回答数回答 1
有り難し有り難し 11

7つ離れた妹が学生でありながらでき婚をしました。
旦那も同じ年齢の学生ですのでお互いに収入はありません。
実家の援助で、産まれた子供と3人でアパートを借りて生活をしています。

とても嫌な気持ちです。
私は独身ですので、嫉妬しているのでしょうか。
無収入で子供を作るなんて有り得ないと思ってしまいます。
援助している両親のことも、非常識で甘いと感じます。
甘いと指摘すると、親が子を援助するのは当然のことだと私が叱られます。

今まで仲の良かった家族全員に不信感を感じて辛いです。
今後も家族と仲良くしていくにはどう気持ちを変えていけば良いのでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

アリエール

「ありえなくネ?」
修行時代に、この言葉が口癖だった先輩に洗剤「アリエール」を呈して笑いをとった丹下ざます。
エルサお姉さまの言う通り。妹のアナめはしょーもないのを連れてきて…!おまけにデキコン?あり得なーい。
でも、アリエナイ発言は、自分のキャパオーバーというだけ。現実に起こってしまった以上は、どんなことも「アリ得ール」ものなのヨ、エルサお姉さま。
よって、角度を変えて、まぁ100歩譲ってアリかなー、と思えるよう別視点で考えてみましょう。
(創作たらればアナタばなし)
むかしむかし、あなたが生まれた当初、ご両親はこの丹下同様、超ぼんびーで、とてもあなたを育てていけなかったとします(泣)。
生まれたばかりのあなた。もはや餓死寸前。お母さんは、食事もままならず、学食のパンの耳ばかり。ろくすっぽおっぱいも出ません。うぇーん。夫もついに学生生活エンジョイで、子育てどころではありません。あなたは施設に預けられるやもしれません。
ところが、そこに、おじいちゃんおばあちゃんが助けてくれました。
「仕事が軌道になるまでぢゃぞ¥¥」
良かった!
ところが…!アナタの母親に七つ上のお姉さまがいて、猛反対!意地悪なことをいうのです。
「アリエナーイ 甘ーい 金銭差押えっしょ。」
子供は栄養失調で息も絶え絶え!めあチャンピンチ!
そこに自称、素敵なイケメン和尚が現われて
「アナタモチイサイコロオオクノヒトニササエラレテコンニチマデイキテコラレタノヨ」
とありがたいお真言を聞いて叔母(アナタ)も、目を覚まし「まぁ、私にとっては姪(甥)っこですものね…」と、心の氷も融けて、少しばかりのお金を妹とその子の為に注いで、アナ(妹)と仲直り。これがキッカケとなり、将来その子は、イランでお油田♡を掘り当てたイケメン金持ちとケコン♡して生涯ヒダリウチワで多くの人たちに洗剤アリエールを配り歩いて暮らしましたとさ、めでたし、めでたし。
おまけに7つ下に妹も生まれました。めでたしめでたし。
人生は見る角度で、価値観も変わるもの。
困った時に助けられると、本当に恩義に感じるものです。
困っている時に冷たくされると一生、仲たがいします。
本当は一番お父さんお母さんたちが困っているのです。
新しい家族に手を差し伸べてみる事から始めましょう。そうよ、愛よ、愛。お姉サマ♡

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

最初から最後まで笑わせて読ませて頂きました。
甥っ子は心から可愛いと思えます。
将来はイケメン金持ちになれるように愛を与えなければいけませんね。
私自身も毎日残業ありの営業をしていて嫉妬心や心の疲れがあるような気がします。

両親が一番困っていると。
よくよく考えるときっとそうですね。

違う角度から見方を教えていただきました。
ありがとうございました。

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