hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

受け入れるしかない「苦しみ」について

回答数回答 4
有り難し有り難し 87

親が老いて体が動かなくなり、認知症になり、死んで行くのを看取る苦しみ。

そして、同じ様に自分も老いて行く事が分かっていながら何も出来ない苦しみ。

なので、時の過ぎるのがとても怖いです。

「一日一生」と分かっていますが、生きてきて46年。

無駄にしてきた時間を思い返し、もう若くなく、社会では「初老」

人生を社会でやり直すには必要とされない年齢となり、思い描いてい

た自分の像と、現在の自分とのギャップに苦しんでいます。

仕事はしていますが、自分のしたい事ではありません。

すれば良いと言われるかもしれませんが、年齢を考えると事業に失敗する事が恐ろしいです。

でも、したい。

「老い」も怖いのですが、「思っていた事をしないうちに老いる」のが怖いのです。

今は、高齢者の方を見ても、死んで空き家になった家を見ても、老い

始めた両親を見ても「怖さと不安」がこみ上げてきます。

この苦しみを受け入れる心構えを教えて下さい。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

災いを逃れるには災いを受け入れる事!

人が生きて行く中での第一義は無常観を感じそれによって「仏法僧の三宝」による教えにて正しい行いを実践し、真実の生き方を与えてくれるのが仏教なのです。
我々は生まれた時から決して逃れる事の出来ない四つの苦があり、一つ目が生まれる時、生きて行く時の苦、二つ目が老いていく時の苦、三つ目が病気に成った時の苦、四つ目が死への不安や恐怖感を持つ苦でこれを四苦と言い「生、老、病、死、苦」に当たり、四苦八苦の中の前者の四苦の事がこれに当たります。残りの後の四苦は生きて行く中で受ける苦です.
どうか現実から逃げる事無く無常観を感じ四苦八苦を受け止めて真実を生きて行く事が楽に生きる為の道、即ち苦を受け止める真実の力が仏道なのです。                 
最初の苦は生まれる時命と共に備わっている四苦で、残りの苦は生きて行く中で感じる苦で、「怨憎絵具、愛別離苦、求不得苦、五陰盛苦」の四苦です。
八の苦を二つに分け四苦と四苦の両方を合わせて八の苦であり、十二の苦がある訳でないのです。

何事も受け入れる心こそ仏道

災いに逢う時節には、災いが好く候。
死ぬ時節には、死ぬが好く候。
これはこれ、災いをのがるる妙法なり」

{{count}}
有り難し
おきもち

良い因縁へと向けて

ひろたん様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「苦しみ」というものは、ある一面において、私たちの都合(期待や希望、欲望など)によって生み出して(生み出されて)しまっているところがあります。

こうだったらいいのに・・と思っていても、どうにもままならないという感じになりますかね・・

とにかく、この世が因縁(原因と条件)に依り変化していく世界である以上、因果律から逃れられることはできません。例えば、原因(と条件)もないところに結果は決して出ないということでございます。

ということは、因縁をより良いものにしてやることができれば、必然的に結果も良いものとなっていくはずだということです。もちろん、複雑な無数の因縁が絡むため、一概、一律に、「これとこれをしたから、はいこれになる」とも言えないところがあるのですが・・

仏教では、この因縁の流れについて、今生だけを限定的に見るものではなく、もっと過去世からの流れ、そして、これから先(来世、来来世・・)への流れも見ていかなければならないものとなります。

また、良い因縁を、と申しましても、その内容には、実は、世俗的なものと、そして仏教真理から説かれるもの(勝義的)の二通りがあります。

できれば、しっかりと仏教を修習していく中で、両方ともに良い因縁となるような行いに努めて参りたいものでございます。

仏教を学びますと、世俗的な良い因縁についても当然に調えていくことができるようになります。

是非、これを機縁に仏教により興味を持って学んでいって頂けましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

ひろたんさま

老いや死を前に不安,怖れを誰もが感じることだと思います。
自然に心の中に湧いてくる「不安、怖れ」を、あってほしくない、
なくしたい、消し去りたいという拒否、拒絶が次に苦しみを
生み出すということだと思います。苦しみを受け入れるというより
正確には不安、怖れを受け入れれば、苦しみは消えると思います。
拒否、拒絶している不安、怖れを、どう受け止めたらいいか?
ということですが、まず不安、怖れを自分は拒絶しているとはっきり
自覚すること。不安、怖れは自然に湧いてきたもの、誰もがそう感じて
不思議でないこと。それを拒絶するのは誰でもそうしてしまうもの、
自分だけが何らかの理由で拒絶してしまうものではないこと、
要は不安、怖れを感じて拒絶することは、自分の責任があるのでも
自分が弱いとか未熟とかではないということ、そのことも念のため
確認していただいた上で、「不安、怖れ」をただ感じます。
自分の前に置いて、ただ観察、ただ味わう、不安、怖れとは
どうゆうものなんだろうとただただ見て、感じてください。
何度でも湧いてきたらただただ感じてみてください。
意識して感じてください。
受け入れられないのは、無意識のうちに拒絶して、不安、怖れそのものを
しっかり見ていないからだと思います。
受け入れる心構えは、ジャッジせず、ただただしっかりそれを見るということです。

海と波のたとえ話があります。
海に沢山の異なる形の波があります。1つ1つの波は、砂浜や岩に
ぶつかり消えていきます。1つ1つの波の形は消えますが、
海水としては海の中に変わらずあります。
1つ1つの波は人、海水は命としてみることができると思います。
人としての姿は消えても命としてこの世界の中には消えずに
残っている、そんなイメージができると思います。
心経の不生不滅、不垢不浄、不増不減も命のこと、
道元禅師の言葉、生死は仏の御命なり、
良寛さんの一句、形見とて何をか残さん春は花夏ほととぎす
秋は紅葉葉。
一休さん。死にはせぬどこにも行かぬここにいる
尋ねはするなものは言わぬぞ。

すいません、字数制限があり説明できませんが、
命について、死について、今ご自身が感じている、考えている
見方を変えることによって、不安、怖れの質も変えることができるのではないかと思います。

{{count}}
有り難し
おきもち

地方の小さい町の小さいお寺の住職をしていました。

苦しみを乗り越えて頑張って下さい

内容を拝見させて頂きましたが、お釈迦様のおっしゃっておられる四苦八苦は私たちが生きている間に避けられない苦しみだと説かれておりますが、不安感や不安を心にある場合には聞いてもらう様にすれば良いかと思います。(傾聴) 老いるというのも苦しみですが、受け止めるしかないですねぇ              合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

山寺の住職です。他の仕事と兼務してます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ