ハスノハが 教科書になれば嬉しいです
ハスノハという有難い場所のおかげで子どもたちにはテレビやSNSを自分でチョイスし、本当に知りたい事や感じたい事は目でみて人と話したりした中で経験、体感しながら成長して欲しいと思う中で、ハスノハが書籍となり嬉しいです。出来れば教科書になるくらいに たくさんの子どもたちにも触れてほしいです。先日、ハスノハをお気に入り⭐登録している息子から、母さんみたいに色々な悩みや迷いの人たちがお坊さんに質問してるんだね。と日常会話の中で言われ どきっと(あまり具体的に質問するのは控えよう)なって充実した会話が出来ました。質問というより、お礼の報告?となりましたが 子どもも一人立ちした時ハスノハという誰にでも拠り所となる場所があるだけで、何かしられ親子で悩み迷える時には寄り添いいただける存在があるだけで心強く居られるんだと…甘えかも知れないけど感謝します。質問しなくても見るだけで自分なら どういう回答をしたいかなと考えたりと毎日の生活に…いつもハスノハがあります。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
質問者は、回答僧の「善知識」でもあります
回答を務めさせていただく中の一人として、そういう言葉は実にありがたいですし、励みになります。
いろいろな方の、いろいろな悩みや疑問を、読ませていただき、可能な限り答えてあげたいと思っております。とは言っても、私の力では回答できない質問も多数ありました。これからもあると思います。自らの勉強不足を痛感させられることも多いですし、他の方々に教え導かれることも多々あります。有り難い学びの場になっていると思います。
回答してあげたいと思いながらも、残念ながら回答する時間的な余裕が無い時もありました。他の僧侶の回答に感心し共感する一方で、「自分なりの説き方が出来たかも。」という悔しさを感じることもあります。(いい歳して、修行が足りませんね。)
何とか私なりの回答を書き上げたことで、私なりに新たに目を開くことが出来たと感じたこともあります。仏道を歩む上で私たちを導いてくれる方を「善知識」と言いますが、皆様からのご質問も質問される皆様も我々にとっての「善知識」でもあると思います。
最近、質問のペースが早いこともあって、一つの質問に多くの僧侶が回答する機会が少なくなってます。一年前は質問のペースが今ほど出なかったので、一つの質問に4人~6人ぐらいの僧侶からの回答がありました。失礼ながら反論したくなる例もありました(逆に、私の回答に異論を唱えられる場合もあったでしょう。)し、他の方の回答に教えられたこともありました。仏教の教えを示す言葉に「八万四千の法門」という言葉があります。敢えて嚙み砕けば、「答えは一つではない。道は一つではない。」という多様性を示すことです。みんな違って、みんないい。仏教とは、そういう世界だと思います。
「教科書になれば嬉しい。」という言葉は最上の誉め言葉として書いて下さったと思います。ありがとうございます。教科書の内容も、時代が変わっても変わらない部分もあれば、時代と共に変化し進歩していく部分もあります。回答する我々も現状に留まらず、常に先に進む気概と精進が必要です。仏陀の教えの根本は変わりませんが、応病与薬という言葉のように、其の時々の其の人其の人の悩み苦しみに対応した回答を出せるよう努めて参りたいと思います。
質問者からのお礼
吉田 俊英さま
時代が変わっても 変わらない芯の部分を、このハスノハの皆様の回答を見ながら、ぶれないで生きたいと質問するたびに思います。気づきをいつも 有り難うございます。