お墓がない
主人の父は、気が小さく心配症なのか、自分以外の人を信用できないようで、大変気難しい人なんです。
その、義父のおかげで、現在、9年前に他界した義母のお墓はいまだなく、遺骨は主人の実家の『仏壇』という箱の中に保管されています。
『仏壇という箱』とは、どういうことかというと、仏壇に魂入れをしていないのです。
火葬が無事終わり、初七日は義父が大々的な法要にせず、義父だけで静かに済ませ四十九日までに仏壇もきちんと納めていただき、親せきらにも来ていただいて法要をしたいということでしたので、主人はじめ、主人の兄家族らも、義父の意向に従うことにしました。
ところが、四十九日になっても、法要の連絡もこないので、いつするのか聞いてみたところ、お坊さんはもう呼ばず、自分ら家族だけで集まって供養しようと言い出したのです。
よくよく聞いてみると、初七日の法要に来ていただいたお坊さんから、早く仏壇を買うように勧められ、仏壇屋さんまで斡旋してきたとのこと。
義父は、それがどうも気に入らなかったようで、『マージンをもらってるからと商売の話ばかりをする』と完全に、お坊さんをシャットアウトしてしまい、四十九日も来てくれるなと言って追い返したようなのです。
なかなか限られた文字数で説明するにはあまりに難しいのですが、とにかく義父は一度シャットアウトしてしまうと、だれが何を言おうと聞く耳を持たないどころか、説得しようとする人までも悪者にしシャットアウトしてしまいます。
現に、そのころの義父は、何度電話しても電話にでないし、連絡がつかないから直接実家に行ってみても居留守を使うという状況でした。
三男の主人には一番、心を許していたようなので、私が主人に説得するように言ったのですが、主人は、説得や意見することで自分までもお父さんの敵になってしまったらパイプ役がいなくなるから、義父の話を聞くだけで説得などはしません。
そのため、当初、亡くなって2年は手元においておいてその後はいいお墓を探して納骨すると言っていたのが未だされてません。
私たちでお墓を作れればいいのですが、正直、いつかは!という思いはあっても、今現在、このご時世、自分たちの生活で精一杯で、お墓を購入する余力がありません。
やはり、お墓がなければ、義母は成仏できませんか?
義母を偲ぶだけでは供養になりませんか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お墓がなければ成仏できないわけではありませんが
お墓がなければ成仏できない、ということはありません。
浄土真宗の宗祖親鸞は、自分の死後は、鴨川で魚の餌にでもしてくれ、と言ったくらいです。
しかし、実際には、親鸞の墓は造られ、維持され、本願寺となりました。
お墓がなくても、成仏はできます。
しかし、死者のためではなく、生きている人にとってはどうでしょう?
死者たちのことを思い出し、手を合わせる場があったほうが、死者を縁として、仏教を聞き続けるための縁となりやすいのではないでしょうか?
伝統仏教教団の菩提寺、手次寺に、お墓があるというのは、死者を縁として、今、生きているわれわれが仏法を聞き続けるための縁として機能すると思います。
お墓の購入も費用がかかりますので、自宅で保管することが悪いとは思いません。
とりあえずは、「成仏できない」ことはないとだけは伝えさせていただきます。
お義母様を偲ぶことも大切なご供養です
このたびは質問をお寄せいただき有り難うございます。
お仏壇やお墓のことをよくお考えになられ、とても有り難いことです。
お義父様がお寺やお坊さんに懐疑的になってしまわれたことは、私達僧侶も反省しなければならないことと思っております。
さて、結論から申し上げますと、お墓がなければ成仏できないということはありません。お墓がなければ成仏できないという教えは仏教にはありません。
近年では、様々な事情により遺骨をお墓に埋葬せずに自宅等で保管している方も多くいらっしゃいます。
そのことは決して悪いことではありません。
一方で、私たちの先祖は遺骨を生活空間から離れたところに埋葬し、そこにお参りするという文化が形作られてきました。
お墓は、残されたご遺族様の気持ちのより所となるという大事な意味もあります。
最初は身近に置いておきたいという気持ちからであったとしても、絶えず遺骨が家にあるというのがどうしても気になってしまい、結局お墓を求められた方にも私どもは多く接してきました。
お墓が生活空間と離れたところにあるというのも、意味のあることなのかもしれません。
近年では、負担の少ない様々なお墓のかたちがあります。どのようなかたちがいいのか親族みなさまでゆっくりお考えいただければと思います。
そして、どうぞ親族みなさま仲良くお過ごしください。親族がもめてしまうと、それこそお義母様は心配されてしまいますよ。
お義母様を偲ぶことも大切なご供養です。
たとえお墓がなくても、お義母様を偲び、ご縁をいただいたことに感謝し、どうぞ手を合わせてご供養を差し上げてください。
あせらずじっくりと
拝読させて頂きました。佐藤上人がおっしゃるとおりお墓がなければ成仏できないわけでは一切ありません。
お墓についてもお世話になるお寺様も皆さんでゆっくりと様々ご覧なさって頂き、しっかりとご住職様にも直接お会いしてご判断なさってくださいね。
なかなか決まらないのもそれは皆さんにとって最適な素晴らしいお寺やお墓にまだめぐりあってないからかもしれません。
皆さん落ち着いてじっくりとご相談なさって頂きご判断なさってくださいね。
皆さんに一番のお寺様やお墓にめぐりあいますことを心より仏様にお祈りさせて頂きますね。
質問者からのお礼
回答ありがとうございました。
お墓がないうえに、仏壇には魂入れをしていない、初七日以降、お坊さんに来ていただいて法要することもせず、義母の命日あたりになんとはなく兄弟家族がそれぞれに実家にて遺骨に手を合わせる程度しかしてきませんでした。
この状況に私は、お盆になってもお義母さんの魂は、帰ってくる場所がなくさまよってるのではないか?
未だ、成仏できずにいるのではないだろうか?と心配していました。
電話に出ず、居留守をつかわれていたかたくなだった頃に比べると、義母が亡くなり一人の生活の淋しさが身に染みてきたのか、義父も子供ら家族に対しては居留守を使うなどということはなくなり、義母に会いたくなれば、いつでも実家に行けば会えるのですが、義母の姉弟さん方は義父との関係が良好とは言えない状況で、なかなかそのようにはできなかったり、成仏できないのでは?という思いから、早くお墓を・・・と言われていました。
ですが、お墓がなくとも成仏はできるというご回答をいただきましたので、お墓に関しては、もし、義父自身が他界するまで手元に置きたいというなら、そのようにし、義父が亡くなった後、生前、義母がよく言っていたのが『死んだら一心寺で骨を集めて仏像にしてほしい。そうすればいろんな人が拝みに来てくれて淋しくないから』と言っていたことも含め、兄弟で話し合いお墓を造るか決めたいと思います。
それまでは、時々義母を思い手を合わせたいと思います。
ありがとうございました。