ある日他人お墓が建っていた
うちの母が実家のお墓掃除に行ったところ、うちのお墓(小さい石が2つおいてありました)がなくなって他人の墓が建っていました。
住職は何年も前に亡くなっており、現在の管理者である80歳過ぎた腰の曲がった奥さんに聞いたら、私分からないとのこと。調べた所、建てた人はとても遠い県に住んで居り、お墓を建てる際に石屋さんに指定した場所が間違っていたようです。石屋さんは言われたとおりの場所を掘り起こし、私の祖父母の骨壺も取り出し、新たに建てたお墓に一緒に埋葬したのです。
遠い県に住む依頼主はまさか他人の場所に建てたとも知らずに過ごしていたようです。
もちろん親族一同ショックを受けています。この場合、うちの母は完全に被害者であると思います。お寺の奥様の無責任さが腹立たしいです。ある日突然、自分の先祖が眠るお墓を掘り起こされ、他人共に埋められ、ご先祖様に無念さと申し訳ない気持ちもあります。。うちのお墓を取り戻したいです。
返してもらえるでしょうか。客観的なご意見賜りたいです。
やりたいことがたくさんある
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
まずは事実確認を
なぜそのような間違いが発生したのかが重要です。
遠い県に住んでいる人(仮にAさんとする)は、自分の家の古いお墓をリニューアルするつもりで発注したが、間違った場所で工事をしてしまったということですね。
だとすればAさん家の元々の古いお墓が引き続き墓地内にあれば、Aさんの誤りの証拠になります。
それがない場合、逆に、あなたの家が長年Aさん家のお墓を自分家のお墓だと勘違いしてお参りし続けていた可能性が出てきます。
撤去されてしまったお墓があなたの家のお墓であったことはAさんも理解されているのかがまず重要です。
また、撤去された墓石には家を特定できる文字は刻まれていなかったのでしょうか?
工事した石材店は、撤去するときに文字を見て確認したのか?また、工事のときにお寺の管理者に一声かけなかったのか?
そもそもAさんの指示が間違っていただけなのか?
そのあたりの整理が必要でしょうね。
仏教では、執着や怒りの煩悩は悩み苦しみの原因になると説きます。
お坊さんとしては、怒りを捨てて穏やかな気持ちで、粛々と解決されることを望みます。
遺骨も墓石もただの物体にすぎないので、壊れてしまっても問題ありません。
仏教的には、怒りや憎しみの煩悩によるストレスの方が大問題です。
感情的にならないように弁護士に入ってもらうなどして(弁護士と言うと訴える!みたいな印象もありますが、平和的に淡々と進めるために入ってもらう場合もあります。)、手続きは手続きとして進めつつ、関係者間で怒り憎しみは持たないような円満解決を祈念申し上げます。
質問者からのお礼
コメントありがとうございます。先に置いておいた石には名前は彫っておりませんでした。きっと金銭的に余裕がなく、墓石を建てられなかったのだと思います。Aさんが自身の間違いを認めて、行動してくれるといいのですが。。石に名前を彫っていない方が悪い、そのせいで間違いがおきたと言われたらどうするべきなのか。やはり弁護士さんでしょう。母は弁護士などたてる気はないようです。私にもあまり騒いだり口を挟んでほしくない口ぶりです。まずはお坊さんの客観的なご意見がありがたいです。今回のことは私にとって勉強の機会です。家族が気持ちよく過ごせるよう、考えてみます。