お墓の役割とは?
友人が子供を亡くしました。
もう10年前の話になりますが、私が友人宅に遊びに行った時に遺骨がお墓に納められておらず、家に置いてありました。
私は「え?遺骨はお墓に納めてないの?」と聞くと友人は「葬式に来てくれたお坊さんが別に墓に入れなくていいって言ったから納めてないよ」と...。
私は『いや・・・それはまずいだろ・・・ずっと遺骨を家に置いておくなんて・・・』
と思いましたが、何故お墓に遺骨を納めなければいけないのか?その根拠を友人に示すことができませんでした。
多分今でも友人のお子さんの遺骨は家に置いたままだと思います。
遺骨をお墓に納める理由、お墓の役割などを教えてもらえないでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
みんなが救われるためのお墓
お墓は残された人が救われるための大切なよりどころとなります。骨あることで、そこに執着し離れられなくなります。特に近い家族なら尚更。残されたものは生きていかなければなりません。過去に縛られ前を向いて生きられないのは辛いことです。
お墓という場所がありそこで成仏できるとなれば安心して骨から離れとらわれた心からも解放されます。そして、気になった時にはお墓に行けばよいわけです。
私も知っている方でお骨をずっと茶の間に空いている方がいますが、何年経っても涙を流し前を向くことができずにいます。
10年経ちその方が割り切って生活できていればよいですが、まだ引きずっているようならば本当はお墓に入れてあげることが、残されたものが救われることにつながります。
説明としては、亡くなったお子さんも残された家族も迷い苦しみの世界から抜け出し成仏できるようにお墓は大切なんだ、ということです。ただ、お寺さんがそれでよいと言われた背景が何かあるのかもしれないので分かりませんが、基本的にはそうした供養の証となります。
仏教は人のために何かすると言う慈悲の行です。亡くなった人のために揺るぎないお墓に入れてあげることは大切な供養という修行です。迷わず成仏してほしいと言う願い、思いを形にしたのがお墓だと思えばよいのでしょう。
お墓は菩提心というすべてを救う心が誓願された供養塔
お釈迦様が亡くなられた時に立てられた供養塔をストゥーパといいます。
仏教で初のお墓、供養塔、塔婆と言えましょう。仏教の供養塔とは単なるお墓とは異なります。たとえば昔の権力者たちのお墓は多くの人たちが労働を強いられたり、権威を示すために立派に大きくしたりさまざまな形のものがあります。
ですが、仏教のお墓はそこに仏教の宗教精神でもある菩提心という誓願がこめられたお墓なのです。仏教的な誓願がご遺骨・供養塔に込められてはじめて私はお墓がお墓になると思っております。そうでないと形式的・無宗教であったり家族ルールが優先され仏教が説く、教えの方向に向かわなくなってしまう。
個人で戒名をつければ自我や自己愛を離れたことにはなりません。
墓なんぞ要らん海にまいてくれと海にまけば漁師も怒りますし、国・人によっては価値観やモラルが乱れます。
では、人が亡くなってそのご遺骨をどこに納めるか。
当時の人たちもみんなでよく話し合い議論した結果が、やはりお墓にきちんとお祀りしようという結論だったのではないでしょうか。
亡き人はたとえ家族であっても、❝個人❞は❝個人❞。親子・わが子であっても存在は別々です。各自が命のの尊厳がある。その子も個としての尊厳がありますから、親としても子供に尊厳を与えて敢えて自分のものにせずにお互いに自由と尊厳を尊重するのが仏教的な精神なのです。どんなにかわいい存在であっても、生まれてきた以上はその子に両親も祖父母がいる。みんな一族、血縁なわけです。夫婦で先立たれた場合、夫や奥さんを愛するがあまりにそのご遺骨でペンダントを作ったり、宝石にしたりするという方もおられましょうが、それも本当は仏教的精神とは異なります。家族や親族がそういうことをやって心底納得がいくというのであれば、許される面もあるでしょうが、自分の子の遺骨をそういう形にしてほしくないという気持ちだって他の遺族関係者にもあるでしょうから尊厳を重んずる。
たとえ短いご生涯であったとしても、亡き方に対して遺族は仏さまとして敬いお墓にご遺骨をお納めして死後も活きた仏さまとして今後も見守り、導いていただくようにお祀りをするのが古来からのおおよそのならわしであります。
もちろん、特別な事情がある場合はしばらくはお側においてあげたいと思うのが人の情愛というものですから、そのお坊さんも気遣いでそういってくれたのでしょう。合掌
お墓は2つの役割りがあると思います
ご質問拝見させて頂きました。
真宗的なお墓の在り方でお返事しますね。まず納骨は亡くなられた方のお骨をお墓の中の砂の上に置くということになりますので、土に還してあげる行為になります。つまり「土に還る」を手助けしてもらっている行事になります。
そしてお墓の多くは真宗だと「南無阿弥陀仏」と書かれているのではないでしょうか?これは、阿弥陀仏という仏の名になるので、仏様の名がついていることからもここが仏壇と同義の場所であるとなります。つまり、仏様のいらっしゃる浄土を表現する場になります。ご先祖様を含め、仏さまがいらっしゃる場こそがお墓であり、仏壇と言えます。だからこそ手を合わせたりしているのです。 多分ですが遺骨を亡骸という見方も出来るため仏具ではない、という考え方も出来ます。そのため納骨を焦らなくてもいいという意味で僧侶がおっしゃったのかもしれませんが、あくまで推測です。参考になれば幸いです。 合掌
質問者からのお礼
丹下 覚元様。
お返事ありがとうございます。
日本人は人が亡くなるとお墓に納め祈ることをしてきた民族です。
友人のことなので強くは言えないもどかしさはありますが、なるべく早くお墓に納骨するように角が立たないように話して見ようと思います。
これも実際は親のエゴなんですよね・・・。
些細様、
ご返事ありがとうございます。
やはり死んだら土に還るすなわち自然の摂理にかなったことなんですね。
友人がこれからどうするのかはわかりませんが、やんわり納骨することを勧めてみます。
邦元様。
お返事ありがとうございます。
正直私はこればかりは親のエゴだと思います。友人家族がどういう考えなのかはわからないですが、いつまでも遺骨を家に置いて置くのではなく、ちゃんとお墓に納骨することを話して見ようと思います。