辛い時、死にたい時に『これ』を見てもいいかもよ!
質問ではありませんが‥‥
ここに質問される方が多い事に心を痛めてます。
また、ご多忙中なところを質問にお答えされる僧侶の方々の慈悲深いお心にも頭が本当に下がります。
久しぶりに↓の動画を見たら感動して前向きになりました。
で、投稿者の方々が辛い時や死にたいな~って時に、よろしかったら見て下さい
『死・生きるとは何なのか』
『死・生きるとは何なのか』https://youtu.be/ZdEh8souF3E
13:40位から
ある番組の収録で、恐山院代の曹洞宗の「南直哉」さんのお言葉が胸にズコンと突き刺さります。
一言、一言が核心を突いていると自分は感じました。
この方の動画は他にもありますので興味のある方は、YouTubeで『南直哉(じきさい)』で検索してみて下さい。
生きててもいいんだ!と思って生活していこう!
僧侶の方へ
本来の質問でないので、お忙しいと思われますので回答はされなくてもいいです。
もし、もし、お時間があれば感想を伺えたら嬉しいですが‥‥<(_ _)>
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏教は哲学ではなく生活
名言のオンパレードですね(笑)ぜひ皆さまに聴いていただきたいです。
以下、感想というより動画を機縁として語りたくなったことをつらつらと。
お釈迦さまも「変に答えを出そうとしなさるな。答えの無いものに答えを求めたところで、不安や苦は尽きません。そうこうしているうちに寿命が来て死んでしんでしまいます。」とおっしゃっています。
http://www.kosonji.com/buddhismepisode/bep7.html
生死に答えを見出すことで救われるわけでは無いのです。道元禅師も「本当に悟った時、どこか物足りないと感じるものです。あの水平線の向こうもずっと海が続いているのだろうなということは分かるけど、実際に今、水平線の向こうがどうなっているかは分からないんです。分からないということもありのままに受け止められる…そういうのが悟りです。逆に水平線の向こうも俺には分かるぞ!と思って満足できているなら、それはただの自惚れです。」と書かれています。
では何が救いなのか?どうすれば救われるのか?
お釈迦さまは「自分を調えなさい。よく調えられた自分こそ、真のよるべです」とおっしゃっています。
手塚ブッダの影響で仏教は『悩める人がお釈迦さまから有り難い言葉を頂戴し、救われていく感じ』のイメージを持っていらっしゃる方が多いと思います。それは間違いではありません。間違いではないのですが、本当はそれは仏門の入口であって本質ではないのです。
調えるとは、言い換えれば善い習慣をつけなさいということです。「理由が分からないので私はご飯を食べません。辛いです。こんなに辛いのになぜ生きなければいけないのか分かりません。死んでしまおうと思います。」本当にこういうことを言う人がいます。発想の順番が間違っているんです。
適切に食べていたらそもそも辛いとか死にたいという思いが浮かびません。飢餓状態の中で「どんな心の持ちようでいれば良いか」を問うても仕方がないのです。毎日正しく食え、アホか…それだけです。そこに理屈を持ち込むこと自体が苦を泥沼化させているのであり、愚かだと気付かないといけない。
仏教とは本来、身体・言葉・意識の習慣をみんなで調える宗教です。だから緊急性が高くなる前に、情操教育や健康診断くらいの段階からお寺やhasunohaに来て下さい。その積み重ねが本当の救いに繋がるのです。
うん、生きてていいんです!
質問者からのお礼
泰庵様
夜遅くにご返答を誠にありがとうございます。
こんな投稿にお時間を割いて頂き感謝いたします。
これらのご活躍をお祈りします
なんまんだふ、なんまんだふ
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大慈様
長文のご回答、誠にありがとうございます。
近代は、何かと全てに意味があり、正解があると考える傾向があると思います。
頭でっかちになり、何事も大義を持って行動しなければならい。または、今辛いのは悪しき原因がありそれを解決しなければ、この苦から逃れられない。と、思いがちです。私は‥‥
どう考えても、これだ!と言う答えは見つかりません。
南直哉さんや大慈さんの回答で、はっとする事もあります。ここや、ぶちゃけ寺で言われた、『今、ここ、私』の言葉を思い出したりして‥‥
また、今回の回答でまずは行動し整える云々は、意外にも現実的でかつ行い易いアドレスを頂いて感謝申し上げます。
誠にありがとうございます<(_ _)>
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