飼っていたフェレットの話です。
フェレットを飼って5年と10ヶ月。
大人になるにつれ、ゲージを噛み続ける音がうるさく何度も怒る日々でした。
今思えば、遊ぶ時間が少なかったと後悔しています。
家の中を荒らされ、粗相もし、苛立っていました。
そんな中、フェレットをお風呂で1.2時間泳がせてフェレットの運動不足も汚される心配もないと。お互いにいいのだと。思い違いも甚だしい事を思っていました。
そんなある休日、朝方騒ぐフェレットをいつものように寝ぼけ眼で水かさもろくにみず、お風呂に入れて、フェレットが這い上がり床で体を汚さないようにシャンプーを風呂の淵に塗り、私は寝てしまいました。本当に赦せない。赦してはいけない過ちです。
起きたら2時間たっていて、すぐ確認しましたが、フェレットはお風呂で亡くなっていました。人工呼吸も無意味でした。
時間がたつほど、とんでもない事をした罪悪感に襲われ、どうしようもなかった。
今もあの時の光景が忘れられません。
私の浅はかで幼稚な思考の為に、フェレットを殺してしまった。
その日のうちにペットセレモニーの方に引き取ってもらい火葬してもらいました。フェレットの家や餌なども片しました。
私は赦しを得る得ないに関わらず、赦しを求めてはいけない人間なのです。
あの子がいなくなって、あの子の存在の大きさに、はじめて気がつかされました。
正直、心のどこかで私はあの子を邪魔者扱いしてしまっていました。
ちゃんと愛してあげられなかった。
こんな最期にしてしまって、悔やんでも悔やみきれません。
私がしたことの報いだとも思います。
私は一生あの子を忘れられない。忘れちゃいけない。
その事を刻んで生きようと思います…。
しかし、自分勝手な言い分ですが、苦しくて苦しくてどうしようもない。
あの子は、それ以上に苦しんだのに。哀しかったはずなのに。無念だったはずなのに。悔しかったはずなのに。
私は、、どうしたらあの子を癒してあげられるでしょう。
今更で何もかも遅すぎる。
本当に一人よがりな事ですが、どんな言葉でも受け入れます。
私の愚かな行動のせいで、最悪な結果を引き起こしました。
その張本人が何を言っていると呆れられると思いますが、あの子に少しでもあげられなかった愛情、想いを、伝えられるでしょうか。
どんな言葉でも全て受け入れます。
どうか、どうか、お力添えを。
よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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ごめんね
CRさま
はじめまして、なごみ庵の浦上哲也と申します。
飼っていたフェレットを死なせてしまったのですね。
いえ、CRさんの文を拝読していると、それは「死なせてしまった」というより、ご自身が仰る通り「殺してしまった」に限りなく近いのではないかと感じました。
寝ぼけ眼とはいえ、フェレットをお風呂場に連れて行き、はい上がってこられないようにシャンプーまで塗ったとなれば、夢うつつの行動とは言いがたい気がします。日ごろ騒ぎ、家の中を荒らし、粗相もするフェレットを可愛くも疎ましく思っていた気持ちがあるのではないですか。その気持ちが未必の故意となって表れたのではないでしょうか。
なにもCRさんを責めようと思って申しているのではないのです。
私も少年時代、家に小型犬がいました。晩年はボケてしまって夜中に鳴き続け、苛立った私はずいぶん冷たく当たりました。なのにその犬が死んでしまった時、私は深い深い悲しみを抱いたことを思い出します。
もう30年近くも前のことですが、今でも思い起こされ、なんであの小さな〝いのち〟に優しくしてあげられなかったのかと悔やむことがあります。どう後悔しても満たされぬ思いを抱え続けています。
「どうしたらあの子を癒してあげられるでしょう」とありました。
でも本当に癒して欲しいのは、ご自身の気持ちなのではないでしょうか。もしそうであれば、それは虫の良い考えだと存じます。少なくとも私は、あの子に対しての罪悪感と自分の残酷さをずっと抱えていたいと思っています。
私の信ずる仏教では、いのちを終えた後、人も動物も同じ往くのだと受け止めています。やがて自分がその世界に往った時、私はあの子に「ごめんね」と謝りたいと思っています。CRさんはどうなさいますか?
★お礼を拝読しての追伸
あの子を癒してあげたいというお気持ちが強いのですね。
でもどうすれば、あの子に思いが届くのか分からないから苦しいですね。
してしまった事は変えられませんが、それを生かして今後は変えていけると思います。ご自身で仰る通りあの子を忘れず、また教えてくれた教訓を胸に生きていくしかないのだと思います。
私もそのように生きていきたいと思います。
思いを新たにさせて頂き、有り難うございました。
拝
フェレット君は残念でしたね
今晩はこの子の為に慰霊させていただきます
貴方がご自分を責める事
私はいたたまれなく思います
多分フェレット君も同じです
一番の供養は
貴方が自分を責める事でもなければ
忘れない事でも無く
自分がいかに利己的であったかを学び
これからの人生に活かす事です
私達は普段殺す事をせず
家畜の肉をいただいています
それらの命とフェレットくんの命も
さらに私達の命も
その重さは一緒
皆同じ
そして皆の願いは幸せ
私の実家は牛飼いでした
父はたいそう牛を可愛がっており
毎日朝から晩まで休む事なく
牛の世話ばかりしてました
規模は小さいながら
我が家の牛の乳はいつも
乳脂率が高くて頻繁に賞を貰う程でした
そして少年の頃のある時
他の方の牛小屋を幾つか見て
その牛のツヤと表情に元気が無いのに
はっとさせられました
やはり思い返せば我が家の牛達は
とても幸せな顔をしてたのです
飼い主の愛情に大きな差があったんですね
生き物って求めるものは
皆同じなんだと思うのです
フェレット君もね
CRさんにその事に気付いて欲しいと
こう教えてくれてるのですよ
気に病むのはわかりますが
それではフェレット君が報われない
貴方が楽しそうにしている時
天国のフェレット君は最も嬉しいのですよ。
質問者からのお礼
丸山様、迅速な回答誠にありがとうございます。
そうですね。まだ時間はかかりますが、ゆっくり笑えるように精進していきたいと思います。
虫の良い話ではありますが、確かにあの子は塞ぎ込んだ私を見たくはないと感じてます。
愛情をちゃんと伝えられなかったのに、あの子は恐らく恨んではいないと。根拠のない事なのですが、それはひしひしと感じるものがあるのです。
それどころか、心配しているような気配といいますか、そのようなものも感じるのです。
私の都合の良い感覚かもしれないので、あまり言いたくはないのですが…
お言葉、誠にありがとうございます。
私も丸山様のお父様のように命を大切にできるような人間になって、また、あの子が来たいと思えるような人間になれるよう精進いたします。
本当に遅くにありがとうございました。
天国のあの子も、喜んでいると思います。
浦上様 回答ありがとうございました。
未必の故意、そうですね。ヒステリーに近い感情の行為が常習化していたと自覚しております。そうですね、何故少しの優しさをもっともっとわかりあえるまで伝えられなかったのか。
悔やみきれません。
虫の良い話に聞こえますよね、けれど、あの子を癒してあげたいのは本当の気持ちです。
そうしてあげたい、あげられなかった想いが今更ながら強く願ってしまうのです。
文章は難しいですね、どう書いても、利己的に聞こえてしまいます。実際その通りなのだとも思います。質問させて頂いた通り、あの子を忘れず生きていこうと思います。
迅速な回答、誠にありがとうございます。
お言葉を大事にしていこうと思います。
夜中まで本当にありがとうございました。