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母親の死

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ちょうど一ヶ月前に母を癌で亡くしました。

僕の場合は特に罪悪感が強く、母の元気な時は結婚もせず、孫の顔も見せれず、病床で寂しがっていた時も 付き添ってやらなかった(付き添おうと思えば出来た)

そして、最後も看取れず・・

怖さと孤独と寂しさの中で逝かせてしまった・・という罪悪感に毎日毎日かられて、それを思うと、母が可哀想で可哀想でたまりません。

一人っ子なので、今は母のいなくなった家で 一人寂しく暮らしてます。

特に一人で晩ご飯なんか食べていると、寂しくてたまりません。

あぁ・・
母もきっと 最後はこんな孤独の中で逝ったのかな・・って思ったりもして。

もうどうしようもないことはわかってます。

でも

なんで一人で逝かせた?
付き添おうと思えば、いくらでも付き添えたのに・・
叫ぶほどに寂しがっていたのに・・・

寂しさは時間が癒してくれるかもしれませんが、この罪悪感だけは
一生もので、僕が死ぬまで背負っていかなければいけないような気がしてます。

母の性格なら『終わったことはもういい これから頑張れ』と言ってくれてるように思います。

ただそれは僕の勝手な気持ちであって、未だに寂しい気持ちの中で彷徨っているかもしれない・・・

でも、それも今となっては教えてもらえず・・・

『寂しい・・』
『家に帰りたい・・』

逝く前の母親のこの叫びが、僕の胸をえぐります
とても苦しいです。

とにかく 寂しさの前に、今は罪悪感が非常に強くて
毎日、胸を痛めて、なかなか前を歩く一歩が踏み出せない現状です。

母親がまだ元気な頃は、あ~だこ~だ言ってお世辞にも大切にはしていなかったのに、いなくなって初めて、寂しい・・可哀想・・もう一度だけで良いから逢いたい・・

今に思えば、僕の結婚、孫の顔ももうとっくに諦めていたはずだし、横になりながらTVを見ているような毎日で、母親はいったい何が楽しみで生きていたんだろうな・・と考えたり。

こんなことを、母親がいなくなってから想っている自分勝手な息子です。

僕のおふくろが死んだなんて、まだ信じられないです。

やはりこの罪悪感は親不孝物の代償でしょうか?
一生背負って生きていかないといけないものでしょうか?

是非、意見を聞かせてください。

辛さのあまり自分の命も絶つことも考えました。

でも、結局は生きていくしかなく・・・


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お母様が喜ぶような生き方を

過去の過ちを後悔して悩むのも煩悩(悩み苦しみの原因)です。
単なる後悔で無限ループするのではなく、「じゃあこれから何をしようか?」につなげてみてはどうでしょうか。
たとえば、あなたと同じ過ちを他人がしないように、親戚や知人等にその体験を話し、家族の終末期には必ず立ち会うようにと勧めて差し上げる、とか。
実は、私も母の最後に立ち会えませんでした。離れて暮らしていたので。
仕事も忙しくて入院している母の見舞いにもろくに行けませんでした。
後悔していないと言えば嘘になります。
ただ、当時の若くて仕事に精一杯の私に戻ったとしたら、同じ過ちをしただろうとも思います。
しかし、もし、誰かがあのとき「もっとお見舞いに行きなさい。もう長くないんだから。」と言ってくれたら、違っていたかもしれません。
悲しみから学んだ教訓を胸に、お母様が喜ばれれるような生き方をしていきましょう。
あなたの質問を見て、私自身もあらためて考えさせられました。
あなたの質問は、私の心には確かに刺さりました。
私の心に届くのですから、他の誰かの心にも届くことがあるでしょう。

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質問者からのお礼

どうもありがとうございました。

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