国家試験直前期に友人が亡くなった回答受付中
国家試験試験を近日中に控えているものです。
一昨日、友人が亡くなったとの知らせが入りました。
享年27歳。低栄養とアルコールによる不整脈で突然死でした。
小学生の時からの友人で付き合いも10年以上、旅行や遊びにもしばしば行っていた仲で、未だに死を受け入れられません。
そんな中、私は人生をかけた国家試験が控えています。
実は、成績が悪くて、授業に全出席しないと落ちるという願掛けをしていました。
そんな中、友人のお葬式が授業の日と被ってしまいました。
授業に出ないと国家試験に落ちるのではないかという恐怖と、大切な友人の死に直面したくないという気持ちで、お葬式に参列する勇気が出ません。
しかし、ここでお別れしておかないと、もう一生会えないとおもうと後悔してしまいそうな気がします。
なにより友人の死が国家試験の妨げになってしまうのではないかとも考えてしまう最低な自分がいて自己嫌悪が止まりません。
国家試験に対する不安と、友人を亡くしてしまった辛さで気持ちがぐちゃぐちゃになって、勉強にも身が入らない気がします。
私はどうしたら良いのでしょうか…
お坊さんからの回答 1件
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悲しみと不安の中にいても、南無阿弥陀仏とともに
ご相談をお寄せくださり、ありがとうございます。
大切なご友人を突然亡くされたこと、その衝撃と悲しみの中で、人生をかけた国家試験を目前にしておられるのですね。胸の奥が張り裂けそうな思いと、不安と焦りが一度に押し寄せてきているご様子が、文章から伝わってきます。
長い年月を共に過ごしてこられたご友人が、27歳という若さで急に亡くなられた。しかも「まだ実感が持てない」まま、日常は容赦なく続いていく。さらに、授業への出席という現実的な条件と、お葬式が重なってしまった…。どちらを選んでも後悔してしまいそうで、立ちすくんでしまうのは、あまりにも自然なことだと思います。
「国家試験に落ちるのが怖い」「友人の死に向き合う勇気が出ない」「試験の妨げになると思ってしまう自分が最低だ」というお気持ちも、決して責められるものではありません。浄土真宗では、人は強く清らかな存在ではなく、迷い、不安に振り回されながら生きる存在だと見つめます。そう思ってしまう自分も含めて、「そうならざるを得ない私」なのですね。
阿弥陀さまの教えは、「立派になってから来なさい」というものではありません。悲しみと自己嫌悪でぐちゃぐちゃになった、そのままの私を見捨てずに抱きとめるはたらきです。今のあなたは、正しさを選べない弱さの中におられるのだと思います。
無理に答えを一つに決めなくてもよいのではないでしょうか。可能であれば、授業や学校側に事情を相談してみることも一つですし、お葬式にどういう形で関わるか(短時間参列する、後日手を合わせるなど)を探る道もあります。大切なのは、「どちらかを完璧に選ぶ」ことよりも、あなたの心が完全に壊れてしまわないことだと私は思います。
今日は、ただ「南無阿弥陀仏」と静かに称えながら、亡きご友人のこと、自分の不安な心、その両方がここにあると認めてみてはいかがでしょうか。整理できなくても大丈夫です。
どうか一人で抱え込まれませんように。またいつでも、お気持ちを聞かせてください。
お念仏とともに、あなたの歩みがそっと支えられていきますように。


