お寺に伺うことについて
いつもありがとうございます。今回はお寺に伺う事について質問させてください。
こちらで質問させて頂くうちに、お寺に伺いたいなと思うようになりました。私は仏教徒ではないのですが(無宗教です)、お寺にお参りに行ったり、「写経できます」となっているお寺に伺って写経させて頂いてもよろしいのでしょうか?
また、海外に住んでいた際、日本人の宗教観について問われる事が多かったのですが、その際に上手く答えられなく残念に思っておりました。「他の日本人に聞いても、知らない、と言われるばかりだったから、答えようとしてくれるだけで嬉しいよ」とも言われましたが…
これから海外との仕事も更に増えてくる中で、また問われた際にはきちんと説明したいので、勉強の為に伺わせて頂きたいという思いもあります。
この様な理由でお寺に伺うことは問題ないですか?お手すきの際にご教示頂けますと幸いです。宜しくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
無宗教という宗教
拝
外国の方に宗教の事を聞かれとっさに「無宗教」と答えてしまう日本人は奇異に映るのでしょうね。
この背景には日本人の調和に対する意識が飛び抜けている事があると思います。
信仰は意識の根の部分にあり、しかもどんな教えにも諸説あり、宗派があり
この事を主張する事で対立が生まれ、人間関係の調和が崩れ社会生活に不和をきたす事を日本人の多くの方が解っていると思っています。
日本人にとって宗教は各々に持っている感覚的なもので誰かに表現して見せるものでは無いのです。
800の神と無数の仏とご先祖様に手を合わせる日本人の信仰は、それだけ自由に選んで信仰できるという事ですから、元々信仰対象が選べない一神教とは違うのですね。
そして歴史的にも政治がらみで「神様より仏が偉い」とか反対に「仏が上だ」とかこうした議論を終息させるために「無宗教」という返答はある意味大正解だと私は思っております。だって私達は別に人に主張するため手を合わせて無いのですからね。
いくら無宗教でも先祖に手を合わせ、仏様に手を合わせ、神様に手を合わせるという事を我々は当たり前にしてますよね?
これは信仰がある何よりの証拠
しかしフラフさんのように自ら仏道を学ぼうという姿勢、これには世界中のお坊さん全員が何より喜ばしく思う事でしょう(笑)
仏教は宗教的というより精神医学や科学、哲学に近い性質、学んでプラスになる事しかありません
その辺りを踏まえて私はいつもこう説明します
「日本人の宗教はほとんどの人が仏教と神道ですが
私達は誰かに語るための宗教を知らない
仏の教えは自然に社会に溶け込んでいるし
自然崇拝をベースとする日本の神はいつも山や神社に行けば無言で迎え入れてくれる
手を合わせた時の全ての体験はインサイドに静かに起こるものであって
誰かに話すためのものでは無いと私達は思っているのです
もし外に話せば誤解や対立を生んだり、奇異の目で見られる
または利益が無くなると考えます
ですから私達は無宗教と無意識に言ってしまいますが無意識という深い所に信仰があるというだけです」
合掌
質問者からのお礼
丸山様
ご回答ありがとうございました。
調和を他国に比べてとても重んじる日本人の回答が「無宗教」になるという点、おっしゃる通りだなと思いました。
丸山様のご説明も大変参考になります。これからお寺に伺って勉強する中で、私も日本人のバックグラウンドなどから説明できるように、自身の理解も深めていきたいと思います。
柳原様
ご回答ありがとうございました。
早速気になっていたお寺に伺おうと思います。そちらは毎日9-14時まで、予約なしで直接受付にお越しくださいとの事でしたので、仕事が休みの日に直接伺ってみたいと思います。