長年行けなかったお墓参り後の心境変化
こんばんは。
大好きで尊敬していた祖父を四年前に亡くしました。
ずっと、受けいれられず、心身ともに病んで(私が死ねば良かった)と考えていました。泣いて暮らしていました。
先日、どうしても祖母とお墓参りに行きたくなりました。
祖父がいない現実をこの眼で観る。
とても不安でした。
祖母とお墓参りに行き、泣きじゃくりました。
お墓にも触れて泣きました。
なぜでしょうか。とても墓石が温かい。
ひとしきり泣いて、淡々としている祖母と帰ってきました。
あれ以来、自宅に帰っても、祖父の夢、祖父の事で涙が出なくなりました。
物凄く不思議です。
私の何が変わってしまったのでしょうか。
何をすればいいのでしょうか?
遠いうえに、パニック発作が出るので辛いのですが、又、会いたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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絶対の孤独に寄り添う仏様との出遇い
ご相談拝読しました。
仏説無量寿経というお経に
「身、自らこれを当(う)くるに、有(たれ)も代わる者なし」
という言葉があります。
人間は絶対の孤独だということです。私より苦しんでいる人がいるから、私の苦しみなんてなんともない、とはならないということです。私の苦しみは大きかろうが小さかろうが私だけの苦しみ。その苦しい時も悩んでいる時も誰も代わってくれる人はいないということ。また逆に、代わってわげることもできないということです。
祖父様の代わりにちぃーちゃん様が死ぬことはできなかったということですね。
この度、お墓参りを縁として、ちぃーちゃん様はその事実をその眼で見てしかと受け止められたのでしょう。死を受け入れたのです。
墓石があたたかく感じられたのは、出会い直しがあったからではないでしょうか。それまでの共に今を生きてこられた一人の人間としての祖父様との出会いから、そのいのちの終わりという尊厳ある事実を受け入れ、しかしいのち終わってもなくならないものがあると教えてくれる仏様としての祖父様との出会いへと転回されたのではないでしょうか。
その温かさに又会いたいと思う、そこに何とも言えない安心感があるのだと思います。
誰にも代わってもらえない私の絶対の孤独に寄り添ってくれる仏様という真実のはたらきが孤独を超えさせてくれるのではないでしょうか。
であるならば、何をすればいい、何をしなければいけない、ということはありません。
祖父様がいなければなかったこのいのち、祖父様がいなくなった今も周りのすべてに支えられたこのいのち、そのいのちの事実を有難く生かさせていただくのみです。
仏様のあたたかさに身を任せながら、ありのまま生きたいように生きてください。
それがお墓参りを縁として出遇われたいのちの事実ではないでしょうか。
南無阿弥陀仏
質問者からのお礼
『温かなお墓を感じて、又、祖父に出逢えた』
この言い様の無い、穏やかに包まれた感情が、その出逢いだったのですね。
とても嬉しいです!又、逢えた!
そして、これから変わらず逢える。
平安を有難うございます。
ご相談して本当に良かった。
色々な悩みの氷がこれをきっかけに溶けていくような気持ちがします。
有難うございました。