厄払いに行った方がいいのでしょうか
34歳で今年は厄年ではないのですが、悪いことばかり起こります。
5月に初めて出来た子どもを流産しました。
その後、流産の原因になった子宮筋腫の状態が悪化し、先日手術を受けました。
手術の際に器具が接触したとかで膀胱に傷が付き未だに入院が続いております。
去年までは厄年だったので3年間厄払いにいっておりましたが、今年は厄年ではないのでお払いには行きませんでした。
それがいけなかったのでしょうか。
退院したら厄払いに行った方がいいのでしょうか。
また来年から厄年でもっと悪いことが起きないか不安でなりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「厄」に振り回されない生き方
お辛い経験をされましたね。心にも体にもさぞご負担がかかったことと思います。
さて、ご相談の件ですが厄払いをして心が軽くなるのであればそれも一つの方法でしょう。
しかし実際には厄払いをしようが災難が降りかかることはありますし、厄払いをしなくとも特に何も災難にあたらない方もいらっしゃることでしょう。
仏教は「厄」というわけのわからないものに物事の原因を見出しません。そうするのは目にみえないものに怯え、そういうものに原因をおしつけようとする人間の迷いの心です。
仏教的に言えばあらゆる因縁(直接原因・間接原因・条件・環境など)によって物事が生じます。
「縁」というものも目に見えませんので同じように感じてしまうかもしれませんが、それはなにか神などの大いなる存在が人の運命をコントロールしているなどというような類はありません。
「わけがわからないもの」ではなく、「わけはわかる」のだが「わけが多すぎて人知では及ばない」というような感じです。
ですから仏教的に言えば、「災難が降りかからないこと」が救いなのではなく、「どんな災難が降りかかろうと受け入れて生きていけること」が救いであり、また何が起ころうと「自我の分別による善悪感に固執しない」ということも救いであります。
この度は流産となりましたが、このようなことがなければ子宮筋腫の状態の悪化にも気が付かなかったかもしれません。
物事は一面だけではなくあらゆる面で複合的に我々の人生に影響を及ぼしてまいります。
何があろうと、いただいたいのちに感謝し、「悪いこと」と感じてしまう物事すらも「今」の「私」を成り立たせるいただきものの「ご縁」なのだと受け入れて手を合わせて参りましょう。
それが「厄」などに降り回されない、仏道という人生の歩むべき道であります。
ご体調がいち早く回復されますことを念じております。
質問者からのお礼
ご回答頂きありがとうございます。
「ご縁」と考えたら、いろんな事柄が素直に受け止められそうです。
ありがとうございました。