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回答数回答 1
有り難し有り難し 14

私は、同年代~30代の多数の人から居るだけでムカつくと言って妬まれたりします。なので、本当の友達が余りいません。40代以降の人と話が合います。
以前上司が、プライベートや持病についての相談にのってくれたんですが、最近は業績悪化により常に怒っていて不機嫌だったりします。
私は、持病で休職中ですが、母は私を心配して
ストレスが溜まり、私や父にモラハラのような言動を長時間言ってきます。私は、鬱状態なので、物凄く傷ついてしまいます。体調が良くなるまでの数ヶ月、母の言葉が頭から離れません。嫌なことは、いつかなくなりますか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ゴングが鳴ればパンチはもらいたくてももらえない。

ボクシングもプロレスも試合終了のゴングが鳴れば、もう、叩かれる事はありません。
ゴングはもう鳴りやんでいるハズ。
あなたが引きずっているのです。
それを執着という。
だから、執着をなくすようにあなたが努める。
執着は思考、想念の上でやっているだけです。
五感の上ではやろうとしてもできません。
映画は終わればもう肉眼は観ていません。
その後にやっていることは脳内の評論です。
肉眼はみていません。
ここを毎日確認して妄想が現実ではないことを明らかにしましょう。
あなたがやっていることは評論のようなものであろうと思います。
それに気づいて、それをやめれば、苦しみは即、消えます。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

お言葉を頂来まして誠にありがとうございます。持病の症状が治まれば、気持ちのコントロールが出来ないのも、嫌な事が頭を何ヵ月も過るのも軽減すると思います。執着心はいけませんよね。心を確実に蝕んでしまう。私も、体調が良い時は楽しいことばかり考えて、嫌な事は気にならないんですが、病中の頭の中は、私の意思とは関係なく、煩悩一色だけに成ってしまう事があります。気分障害なので、自分で気分のコントロールが出来ないのが、不自由で堪りません。薬をきちんと飲んで十分に療養したいと思います。本当にありがとうございます。

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