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頑張りが報われない

回答数回答 3
有り難し有り難し 65

質問したばかりなのに、またすぐに質問してしまい申し訳ありません。

現在、就職活動中であり、先日第一志望の病院を受験し、また不採用となってしまいました。
友人も受けており、友人は内定を頂いていました。この友人は大学に入り、最も仲良くなった友人で、就活や将来の事などお互いによく相談し合っていました。一緒に遊びにもよく行きます。

私は7月から就活を始めましたが、友人は今回の病院からやっと就活を始めたという状態でした。自分は7月からずっと色々な所へ病院見学に行ったり、試験対策をしたり必死にやってきたのに、就活始めてすぐに内定を貰った友人を見て、悔しさや嫉妬の気持ちが生まれました。
友人は、就活の対策をほとんどしておらず、勉強なども頑張るタイプではありませんでした。しかし、要領が非常によく何事も上手くこなしていく人でした。要領が良い友人を羨ましいと思っていました。
長い時間をかけたから良いというものではないとわかってはいますが、今まで頑張ってきた自分は何なのだろうと思ってしまいました。努力が報われない悔しさに涙が止まりません。辛いです。
自分のが努力してきたはずだから、友人よりはできるであろうという思いもあったのだと思います。この気持ちが余計悔しさを増幅させました。友人の事を見下してるような自分もどうなんだとも思いました。

努力したことが必ずしも報われないというのは今まで生きてきて、痛いほど感じています。
でも、この報われない悔しさは何度経験しても慣れません。引きずってしまうこともあります。今は、それでも頑張り続けなきゃいけないのが辛いです。要領よくなれたら、どんなに楽だろうかとも思ってしまいます。

私は将来への不安から焦り過ぎて、頑張りが空回ってしまっているんだと思います。今まで頑張って来たことは無駄なのかと考えてしまいます。
頑張りはいつか報われますか。無駄にはなりませんか。
愚痴のような質問をしてしまい申し訳ありません。ご回答頂けると幸いです。よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「汝が病院は何処にある」

公案を授けます。
タイトルの意味をよく考えてください。
まずは、残念ちゃんでした。
ですが、落っこちったらすぐに立ち上がり、次の一歩を進めることです。
クヨクヨしたって結果は変わらん。
それよりもまず、学びを得てください。
ここで、いつまでも後悔や比較や自分を責めるようなことをしていても何にもならない、ということです。
頑張ったは頑張った。
立派です。
ですが、今度は頑張り方を変えるのです。
仏道修行も、どんなに頑張っても頑張り方を間違えれば悟りを得られないことがあります。
おシャカサマだって6年間、間違った修行法をしていたのです。
最後の最後で、「自分流の」やり方がなくなりました。
そうして、道が開けたのです。

私たちも自分流のやり方で頑張ろうとしますが、それはあくまで自分が自分のやり方を一生懸命やったという事だけなのです。それよりも、法にかなった、現場に適した頑張りをすれば、最小限の力で済むことはあるのです。
あなたは第一志望に入れなかったというだけではありませんか。
ですが、あなたの助けを必要としている人、求めている人は他に沢山いることを忘れていませんか。
このhasunohaも病院です。
沢山患者さんが来る病院が良い病院というわけではありません。
そこにいる医師たち個人が如何に志があるかという事が大切なのではないでしょうか。
それをあなたは、このhasunohaという病院に通院して患者さんの気持ちを理解することが出来たはずです。
だから、あなたはどこに行っても医療活動はできます。
私は安穏寺というお寺の住職ですが、住職に任命された時、何もありませんでした。
安穏寺というのは名前だけで今も土地しかありません。
帝釈天はシャカから寺を立てろと言われ草をそこに植えました。
だから私は場所を選ばず心の医療活動、お寺の活動をしています。
師が授けた公案でもあります。
「汝が寺は何処にある」
通常であればお寺さんは生活ができる食べていけるお寺の住職さんになれるものです。
ところが私のお寺には建物も仏具も何もありません。
「かたつむり何処も同じ我が家かな」
あなたの居る所があなたの医療活動の現場です。
自分の身心が病んでいて医療行為ができましょうか。
まずは自身のその心の迷いをこそ治療しなさい。
どこで働くかなど二の次。
「あなたの病院はどこにあるのか」

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有り難し
おきもち

いっときのよろこびだけが、「ゴール」ではありません。

とても大事なことで、誰もが味わえるものではない、あなただけの
尊いものがあります。

それは、「悔しい」「妬ましい」「うらやましい」「情けない」「つらい」etc。。。

沢山の「こころ」を、自分のなかに見つけたということです。

これらがどういう「こころ」かを知ったということです。
知った、ということは、「教えられる」ということでもあり、
そういうこころを持っている人たちに、「わたしもそうだった」と
言えるということです。

仏教の大事な教えに「慈悲」というものがあります。

これは「相手の身をじぶんの身にひきあてていく」ことと
記されています。

相手の身におきたことを、我が身として受け止めた時、
相手への心からの安らぎを思い、慈しみが溢れるのです。

それが、本当の「医療」ではないでしょうか。

あなたは、ご友人に出来なかったことを経験されています。
それは、壁にぶつかり、それを味わうということです。

味わいきったとき、あなたは、本当に苦しんでいるひとの
かたわらに寄り添える、素晴らしい医術者となるでしょう。

ご友人のいっときの喜びばかりをみて、御自身の
未来を見つめないのはもったいないです。

あなただからできる、あなたでなければ出来ない、
医療があります。
どうか、すばらしい医術者、看護者になってください。

あなたに、ご友人に、さちあれ。さちあれ。合掌

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

ご回答頂きありがとうございます。1つ1つの言葉が心に響きました。
いつまでも落ち込むのではなく次へ進まなければならないと。そして、自分の志す医療はどこでだってやれるんだと思えました。
壁にぶつかって、悔しく思ったこともその経験が将来誰かのためになるというのは自分1人では導き出せない考えでした。
これから先も頑張って努力を続けていこうと思います。
ありがとうございました。

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