最善の選択をする方法を教えてください
僕は中学2年生です。親の仕事の関係で違う市に引っ越しました、今までお婆ちゃんや従姉妹やおじさんなど毎日会ったりしていて、初めて離れ離れになったので、寂しくなり小6の時に過呼吸を発症してしまい、3ヶ月入院したりして小6の途中で再び学校のクラスに入り楽しく過ごしていました。
中学生になると今までのクラスの皆んなに加え他の学校の生徒も増えたため緊張してしまい、過呼吸を起こしてしまい、しばらく学校に行けない日々があり、最近は別室に登校をして同じ感じの先輩の生徒など数人といたり、スクールカウンセラーなどに相談をしたりしています。
僕の将来の夢はAppleで働くことです。理由は僕が辛い時にApple製品を初めて持ち、それからAppleを好きになり、MacやiPadなどを買ったりして僕の毎日頑張る糧になっています。
この間ここでこの件について質問をさせていただいたのですが、通院している病院と意見が食い違ったりと辛いことが多いです。
僕は常に「本当にこれで良いか、今行なっている事以上に素晴らしい結果を出せないか」と問い続けています。
そこで質問なのですが、常に最良の選択をするにはどの様な考え方をすれば良いのでしょうか?教えてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
天高くきらめく星、名もなき地上の星、生き方を鮮明にした人
拝読しました。
しっかりとした考えと、大きな夢を持っておられますね。大したものです。私の中2の頃といえば…お恥ずかしいばかりですが、貴方の話に少しワクワクしています。
そうですね。貴方が難題に直面する度に、「本当にこれで良いか、今行なっている事以上に素晴らしい結果を出せないか。」と自問する姿勢には好感が持てますし、そんな真摯な態度が大きな夢への足取りを確かなものとしてくれるでしょう。
しかし、大切なことは、自分が最善の選択を出来ているかどうかではなくて、あの時その問題に対して「至心至誠」に向き合えていたかどうか、ということです。
人生は選択の連続です。その時々に自分が下した判断が最善かどうか分かるはずもありませんし、ずっと先になって「あっ?!」と腑に落ちることもあれば一生気付かないで過ごすことも多いでしょう。同じ判断でも、人によってその正否も異なります。
貴方が至心に向き合って絞り出した結論が、その時の貴方の最善の判断なのです。例えば、貴方にとって障壁にしかなっていないようなことでも、信念をもって対峙すれば、後になってそれが得難い経験だったってこともある訳です。しっかりとした「立ち位置」を貴方が見出せれば、この先挫折や失望に苛まれたとしても、自分はまだ夢の途中にあると思えるのです。
「努力が必ず成功につながるとは言えない。しかし、成功者は必ず努力している。」
天高くきらめく星も、名もなき地上の星も、生き方を鮮明にした人々共通の言葉ではないでしょうか。
したい事をしたらいい!
最善の選択とは何でしょうか?
社会的に成功を収めること。
自己実現を果たすこと。
人から賞賛とまではいなかいにしろ、
その存在を認めてもらうことでしょうか。
私はそうは思いません。
朝起きて、ご飯食べて仕事に行く。
精一杯働いて帰る。
こうして1日無事に過ごせたことを、
感謝しながら、ご飯をいただき、
お風呂に入って疲れた体を癒し、
神仏やご先祖様に、
お礼を言上して眠る。
最善でも最低でもないが、
生かされている自分に、
感謝し、反省し、
こんな自分も、人も恕す?
それで十分だと思いますが。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
質問者からのお礼
ご回答頂き有難う御座います。僕は常に「本当にこれで良いか、今行なっている事以上に素晴らしい結果を出せないか」と考えていて、どうしても解決したのか分からない時もありました。
「至心至誠」に向き合うと言う事が大切だとご回答頂いた事で、今までの考え方が狭かったと感じました。これからも僕が出来る最大の行いをして行きながら、『「至心至誠」に向き合うと言う事が大切』と言う事を忘れずに夢に向かって頑張りたいと思います。有難う御座いました。