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生き別れた父の事が気になります。

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有り難し有り難し 14

見ていただきありがとうございます。
心の整理もつかぬままに書いておりますので、乱文ですが、どうぞ最後まで読んでいただけると幸いです。

私は中学3年になるという時に、父のDVに耐えかねた母に連れられ夜逃げしました。
当時私は家で何が起きているのか分からず、ただただ母に連れられ新しい土地へやってきました。

何が起きているのか分からず、というのも、私が幼いころから父は単身赴任をしており、私自身父との記憶はあまりなく、父が単身赴任から帰ってきた小学五六年生の頃には父は精神を病んだからと、自室に籠りきりで、父の活動時間はもっぱら夜だったからというのが一つと、母や兄弟が私から父を遠ざけていてくれていたので、私自身直接的な被害という被害が無いと思っているからなのです。

しかし、そんな私でも家庭のただならぬ空気は伝わり、母や兄弟のためになるならと、一緒に引越し、学校を卒業し、彼氏もでき、成人し…今は実に平穏な暮らしを送っていますが、たまにふと思うのです。

私達はこれでよかったかもしれないが、では父はどうなのかと。長年連れ添った妻に急に別れを告げられ、子どもとも会えなくなり、借金までした一軒家も手放すことになり、…しかもそういったことが、すべて休職中に起きている。そう考えると父の人生は踏んだり蹴ったりではないのかと…。

私が成人した今、そんなに気になるのなら自己責任で会いに行けば良いではないかという意見もあります。ですが、そうしたところで私から足が着けば、死ぬほど父を嫌悪している母や兄弟は?父はだいぶ粘着な人だと母は言います。だとすれば余計に母や兄弟に被害が及ばないという保証はありませんし、父自身私についてどう考えているのか全く想像がつきません。自分を捨てた憎い子どもと思われているかも。

そう思うと、今の生活と父に会うことのリスクを天秤にかけてしまい、結果父を思うだけで何もできないのです。

きっとこの先も父に会うことはないのだろうと、自分で思うのですが、どうしても気がかりです。この気持ちをどうすれば供養できますか?
教えてください、、


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

直接会わずとも、あなたの祈りは届きます。

ご質問、拝読いたしました。

血のつながった親子です。どんな事情があれ、どうしても気になってしまうのは、当たり前のことだと思います。

お父様の幸せを信じて、遠くから祈り続けること。
いのこさん自身が、充実した毎日を送ること。
それが、今のあなたにとっての最良の親孝行だと思います。

どんな人間であっても、どんな環境にあっても、みな等しく「幸せの原石」を心の中に持っている、と私は思っています。
自分が持っている「幸せの原石」を発掘し、いかに美しく磨き上げるか?
それが人生最大の目的であり、修行なのだと思います。

あなたの目にどのように映ろうとも、お父様もやはり「幸せの原石」をお持ちです。
今この瞬間も、お父様はお父様なりのやり方で、その原石を磨こうと修行に励んでいらっしゃると思います。
もちろん、仏さまがそばについて、その手助けをして下さっています。
お父様は、決して孤独ではないはずです。

さて、仏教には、「回向」という言葉があります。これは、自分の修行によって積まれた功徳が、巡り廻って、周囲の人々をはじめ、遥か彼方の森羅万象にまで届くということを、意味しています。

いのこさん自身が「幸せの原石」を磨く修行に励むほど、その功徳の光が、仏さまを通してお父様の心を照らし、修行の手助けをして下さいます。

実際に会いに行かずとも、あなたの祈りはお父様の心に届き、救いとなります。
どうぞ、安心してご自身の修行にお励み下さいね!

合掌

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有り難し
おきもち

会ってもよいとは思うけれど・・・

色々な事情があるとはいえ、血の繋がった親子ですから、気にならないはずもありません。
あなたがひとりの大人として独立独歩しているのなら、会っても構わないとは思います。
けれど、今はまだその時ではないのではしれません。

もっと時が過ぎるのを待って、お母さんやお兄さんの心がもう少しほぐれてから、お父さんのその後を調べてみてはいかがですか?

ねがわくば、悔いの残りませんように・・・・(>人<)

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有り難し
おきもち

様々なつらい別れや痛みを、私も経験しながら今日を生きています。 あなたの...
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「父親のこと」問答一覧

父との関係で将来実家に戻るか悩んでいる

大学卒業後、実家に戻って就職するか、一人暮らしを続けるか悩んでいます。 現在大学四年生で、人間関係の構築、勉強、バイトが辛くて去年不安障害と鬱状態が強くなり引きこもってしまい、半年〜一年留年予定です。 私が一人で生活できない状態なので、母は「早く帰って来て」と愉します。 しかし私の父がズレた人で、帰省が不安です。 教育費は十分に与えてくれ、留年も認めてくれたので、金銭的にはとても援助してもらいました。十分恵まれていることは承知しています。 ただ、父親は非常に不安定な性格で、収入が減るなど気に入らないことが起こると暴力的になることが怖いです。 小さい頃は泣けばうるさいと脅され、私が小学生〜中学生のときは「道で卵売りでもしたら」「腎臓を売ったら」「塩酸の海で泳いで」「AV女優〇〇(私の名前)の□□が見れる」と言われました。他にもセクハラめいた発言をされました。本人は奇声を上げ大音量でヘビメタを流しうるさいのに、私達には包丁で脅したこともありました。 母に至ってはよく叩かれたり首を締められたりしていました。 清潔感も皆無で、食べ物や飲み物をあちこちに飛ばします。父親が寝そべる床は油で滑ります。 こんな性格の父は高学歴で、私も同じ大学に入学しました。 進学で遠方へ引っ越したから母は「〇〇ちゃんは逃げられるけどお母さんは一生逃げられない」と言っていて、母が可哀想に思えました。 私がいるから離婚できず、父の死亡後の保険金を狙っているようです。 また実家に自分の部屋がないこと、貧しくないのに歯列矯正を受けさせてくれなかったことが引っかかっています。歯列矯正は将来私が貯金して受ける予定ですが、母は矯正なんて気にしすぎだ、という感じです。 以上の理由で帰省が怖いです。 一方で、私が去年から生活が困難で勉強できずゴミ屋敷に住んでいる状態なので、実家先で就職してもいいのでは、とも思います。 最近私が冬休みなどで一時帰省してるとき、父親はケーキや美味しいものをくれるようになりました。以前より暴力性が収まった気もします。けれどそのケーキが歪んだ愛情表現のように思えてなりません。 親に対してお金と食べ物にしか感謝できない娘は最低ですか? 私は実家で安心して過ごせるでしょうか? 就職後も一人暮らしをして自立した方がいいのは分かっていますが、体力的・精神的に厳しそうです。

有り難し有り難し 1
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父の死が受け止めれない

今年の8月30日に父が癌で他界しました。 享年60歳でした。 今年の初めより余命宣告を受けており、亡くなる2ヶ月ほど前から看取りの方針で同居することになりました。 私は看護師をしているのですが、現在育休中で他の家族より長い時間共に過ごし、点滴等の介助、病院の付き添いも行っていました。 入退院を繰り返してきてた父でしたが、 他界する数日前に「しんどいから病院へ行きたい」と口にし、入院となりました。 点滴加療で身体のしんどさは軽減し持ってきた梨まで食べてくれるまで元気になっていました。 早く帰ろうな!また来るわ!と言ったのが 最後2日後に危篤状態になって亡くなりました。 余命宣告を受け医師から何度も話をしてもらい 看護師をしている上で経験上他の人よりわかることも多かったのですが、いざ本当にいなくなってしまうと受け入れれない自分もいます。 その反面淡々と葬式の準備や、死後の身辺整理等を行っている自分もいます。 現在子育て中ということもあり、哀しみに浸るということはなく、父がいなくなっても当たり前の日々を過ごしています。 時間がある時に父との思い出を 思い出そうとすると頭の思考が拒絶して 亡くなる前のことも考えることを自己で阻害してしまいます。 悲しんであげるのを父は望んでいるのではないとは思いますが、淡々と法事をこなし、 日常を過ごすことにすごく嫌気がさしてしまいます。 忘れてはいません、しかし具体的にこう話したりこんな様子だったということを振り返ろうとしても考えられません。 こういう時はどうしたらいいですか。

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父と距離を取り、自分の道と向き合う勇気を

私の父は自閉スペクトラム症です。それは別に気にしていないのですが、とにかく敵を自ら作る癖、これに私や家族、そして本人がとても苦しんでいます。 気にしなければ良い事に一々反応しては、見下したり怒りを撒いて、自分も他人も傷つけます。職場でも似たような事をしているらしく、自ら敵を作ってはパワハラを行い、そのせいで職場をリストラされてしまいました。 家でもいつも何かしらの愚痴や文句、罵声ばかり。その矛先は家族にも飛び、私自身も精神的虐待を受けてきました。 私としては父には父自身や父の大切な人の幸せを願い、人生を楽しんで人と喜びを分かち合う。そんな人生を送れたらきっと父も幸せなのではないかと思い今までそうなれるよう助言などをして接してきました。 しかし父は自身にとって嫌な事は全部他人のせいにする癖がやめられないようで、こちらの意見に耳を傾けてくれません。傾けても聞いてやっていると言う意識でいます。 父を助けようという気持ちは私のエゴ。父は望んでないかもしれないし、逆に私が父に望みすぎではないかと言うのは承知しています。ですが今のままではあまりにも苦しそうで…見捨てられずにいます。しかし私自身が疲れてきているのも事実です これは父自身の課題でもあるし、父の心を変えられるのは父だけだと思うので彼とはもう距離を取り、私は私自身の課題や道と向き合おうと思うのですが、勇気が出ません。 なのでどうか私に、父から離れ自らの道と向き合う勇気を下さい。 励ましや応援、出来れば助言などを貰えると幸いです。

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愚かさで父の寿命を縮めてしまった

 コロナ前のことで、父は神経難病末期で、何度目かの誤嚥性肺炎で入院しました。療養型病院なので積極的な対応はあまりなく、嚥下困難で食事に時間のかかる父の希望で、食事介助に行っていました。 そして家にいる時と同様に、あるビタミン剤を飲ませていました。 医者にはいい顔はされないと思ったので、独断でこっそりと。 1か月ほどして、主治医から呼ばれ、体の全部が機能しなくなっているので、と暗に覚悟をするよう言われました。ここでようやくビタミン剤を飲ませるのを止めました。 その後しばらくして容態が急変し、このままここで治療するか、急性期病院に転院するか尋ねられた時、一瞬頭をよぎったのが、ビタミン剤のせいかも、急性期病院で詳しく検査して、状態の悪い父に勝手に飲ませていたのがわかったら非難される、ということでした。すぐに母が父の負担を考えて転院を否定したのと、主治医から治療そのものはここでも特に変わらない、と聞いたので、どこかホッとして転院しないことを決め、父はその後亡くなりました。 後に主治医にビタミン剤を飲ませていたことを告げましたが、特に父の病状には関係なかったとの返答でした。 しかし、飲ませたことも愚かでしたが、転院に躊躇したのは、自分の保身とエゴです。あの時、急性期病院で積極的な治療をしていたら、もう一度持ち直したかもしれない、と今更になって毎日悔やんでいます。 父は嚥下困難でも何とか食事を口にしようと懸命で、全部機能していないと言われる体であっても、必死で自力でトイレに行こうとしていました。 そんな父の命の瀬戸際に、母が希望しなかったのをいいことに、己のエゴで父の寿命を縮めてしまいました。  自責の念と後悔で、胸が苦しいです。正直、死んで詫びたい気持ちですが、残される母のことは心配するな、と最後に父に約束したので、今はそれは出来ません。母には経緯をすべて話しました。母は父の状態からあまり積極的な治療を望んでいなかったようです。しかし、父自身は一日でも長く生きたいという強い思いがあった気がします。  この罪の償い方をお教えください。

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父の変化は私のせいなのかもしれない

いつもありがとうございます。 また、父のことで相談させていただきます。 母が亡くなり、施設にお世話になっているのですが、最近は時々妄想のようなことを口にしているようです。 若い時から、思い込みなのか常識から外れたことを口にすることがありました。 またお父さんの妄想が始まったとあまり関りを持ってはいませんでした。 母がそばにいたので母が常にたしなめていたようです。 今現在母もいなくなり、寂しい思いをしているとは思います。 私は月に3から4回は父に会うようにはしているのですが、歩くのがおぼつかなくなってきており、一人では外に出ないようにさせています。 もっと自由にさせていたほうが、父は元気でいたのではないかと最近考えています。 施設のほうからの依頼もあり、一人での外出をさせないようにする選択をしたために父の元気を奪ってしまったのではないかと考え始めました。 歳をとり仕方のないことだとはわかっておりますが、父に対して申し訳ないような気持ちになり、心の整理がつきません。 本当にいつも愚痴のような相談になり、申し訳ないのですが、父の老いをきちんと納得でき、私自身の心の整理ができるようにお言葉をもらえればと思います。 お忙しいところ恐縮ですが、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 19
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父親を憎いが放っておけません

一昨年母が亡くなり、父と主人と私の3人で暮らしています。 母が亡くなりしばらくしてから父は引きこもりになり早1年半がたちます。 小さいですが会社の社長をしていますが仕事のこともほぼ放置し社員に丸投げしている状態です。私も事務をしています。  私が過去にうつ病になった時に「俺から言わせりゃ仮病、そんな辛いなら死ねばいい」と言われました。 そんな父の近くにいたら治らないと思い、家を出て一人暮らしをし、結婚して、15年ほどたちましたが母が亡くなり結局は父を放っておけず実家で暮らしています。 やはり父の性格は変わるはずがなく、私がやる事は父にとっては全て当たり前のようです。「ありがとう」「ご馳走さま」「お願いね」などの言葉は一切なく、それどころか文句を言われます。 機嫌が悪いと明らかに表情もムスっとしており、指摘したら「こういう性格だ」と言われました。それ以外にも気に入らない事があると物に当たったり大きな声で怒鳴ります。 私ももう耐えられなくなったので「住むところが見つかったら家を出ていく」と言うと物を投げつけ怒鳴られ、しまいに自分の手の甲にボールペンを何度も刺して「死んでやる」と暴れていました。完全に病気だと思いますが病院にも行ってくれません。 離れて暮らすのが1番だと思いますが何故か放っておけません。このままでは私が病んでしまいそうです。 現場へ行かなくてもせめて事務所には行ってほしいですし、暴れるのをやめてほしいです。自分だけが辛いという考えはやめてほしいです。1番辛かった時に「死ねばいい」と娘に言う事も信じられません。 私がしていることも全て当たり前ではないことを分かってほしいです。会社のことがあるから家を出ることも躊躇しているし、やはり放っておけない気持ちも消えません。 それでも家を出れば良いでしょうか?それとも私がもっと頑張って嫌な態度や言葉はスルーして賢く接するのが良いのでしょうか?後者ができればとてもラクだと思いますが許せない気持ちも消えません。でも放っておけない気持ちも消えません…。毎日その繰り返しで苦しいです。 何か良い方法はないでしょうか。 どうか宜しくお願い致します。

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入院中の父が転院せず退院を希望しています

病院嫌いの父(79)が救急車で運ばれ、初めて入院しました。 付き添った母の話だと、病院の方からは疑いのある病名も聞かされていないのですが、ウイルス性の肺炎だけでなさそうなので、専門の科があるところに転院して検査・手術を検討したほうが良い。 ただ、またコロナが増えてきて転院先がなかなか見つからない。 見つからない時はこの病院でできる治療をして様子を見ます。とのことでした。 入院3日目、母に会って父の様子等の話を聞き『早く元気になって また遊ぼうね じぃじ がんばれ!』というメッセージと、子供達の写真を載せたカードを「明日渡しといて」と託して別れました。 その日の夜、父から着信がありました。 「俺、退院しようかと思って。 治るかもわからないのに、転院してまた検査で痛い思いをしたくない。 テレビもないし、お粥も頑張って食べても半分くらいしか喉を通らないし、動けないし、このままじゃどんどん弱っていってしまう」 私は泣きながら 「病院嫌いのお父さんが初めての入院だから、気が弱ってるのもあるんだよ。 子供達も『じぃじ、じぃじ』ってお父さんのことが大好きなんだし、頑張ってほしい。 七五三やランドセル背負った姿も見てもらいたいし、まだまだ長生きしてほしい」と伝えました。 すると父から「だからこそ元気なうちに退院して、孫達と遊んであげたい。 もうここまで生きたんだし、その時はその時だ。 まぁ、そんな相談をお母さんにしようと思ったんだけど、電話が繋がらないんだ」 その後、父と話したらしく母から着信がありました。 「『◯◯(私)は何て言ってた?』って聞いたら『お父さんの好きにしたら?って言ってた』って聞いたよ。だから『先生に退院したいって伝えてみたら?』って言ったんだ」 私の気持ちを伝えても、父は母に嘘をついたようです。 私が伝えた言葉を話すと 「検査がよっぽど辛かったんじゃない? お父さんの好きなようにさせてあげようよ。 今すぐ亡くなるって決まってる訳じゃないんだし、好きな物食べて飲んで、足は達者な人だから散歩して。 孫達と遊んでたら、入院中の今より元気になるかもよ」とのことでした。 父や母の思いもわからなくもない気持ちと、検査を頑張ってもらって、長生きしてほしいという自分の気持ちがせめぎ合っています。 退院してきたら今まで通り接することができるか自信がありません。

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余命わずかな父に優しく出来なくて後悔

現在私の父は60歳です。 5年前に直腸がんで手術や抗がん剤と闘病していました。 去年の秋ごろにリンパ転移しており、全身癌へと移行しました。 現在はもう抗がん剤等の投薬の見込みはないとのことで病院側は緩和ケアの方向で治療しています。 先生からはもって数ヶ月かなと話を聞いています。 私は父のことが好きでした。 しかし、病気が見つかる少し前に(5年前)父の借金が発覚し、反省の面もなく人のせいにしてしまっており母とは離婚しました。 私自身もその頃に離婚し出戻りで実家に帰ってきていました。 その時には母と父とは家庭内別居で数ヶ月一緒に住んでいる状態でした。 私も父と毎日顔を合わせるようになり、徐々に自分勝手な父に嫌悪感を抱く様になりました。 特に暴言を吐いたりとかはないのですが、性格的にあまり人のことを考えなかったり 良かれと思ってしたことが、あれもして欲しい、これもしてほしいとどんどん言われる様になりました。 親子でも性格的不一致はあるのだと感じました。 その後、母と父の離婚が成立し父は一人暮らしをすることになりました。 その間、父との交流は適宜行なっており 病院の付き添いが必要な際は行ってました。 そして、今年の5月に入り病状悪化に伴い、急変時対応等の兼ね合いで父と一緒に住むことを決めました。 父が1人でしんどくなってるのが辛く 孫もいてるため、少しでも気持ちが楽になれるなら、父との最期を後悔なく関わりたいという思いから母を説得して家に来てもらっています。 母も同じ屋根の下で暮らしていますが 顔や言葉を交わすことはありません。 しかし、一緒に住むと自分勝手な父には変わりなく、時折素っ気ない態度を取ってしまう自分自身に辛くなってしまいます。 現在も徐々に弱ってきている父を見ると辛くなったり、優しく出来なかったり 私の情緒も不安定なのか… 最期を良かったと思える様にと考えたのですが上手くいかず私が悪いのですが 余命宣告されているのに人に優しく出来ないのが辛いです。

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