不運なできごと
振り返れば、大きな悩みもなく、疑問も持たず、
楽しく幸せにやってこれたほうだと思います。
しかし、今年の春以降、
これまでコツコツと積み上げてきた仕事や生活が崩壊してしまう
トラブルに次々と見舞われました。
因果応用と言われるように、
現状を招いた原因を何度も何度も考えましたが、
私の努力や考えが及ぼないところで
何かが動いたように思えて仕方ありません。
これは、何かを学べということなのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
諸行無常を学びましょう
全ては必ず壊れます。
無常です。
いつまでも都合よくはいきません。
積み上げてきたものが壊れるのが人生なのです。
壊れることを想定し、心の準備をしておけばショックは受けなかったかもしれません。
自分の努力が及ばないのは当たり前です。
仏教では無我と言って、自分という概念も幻だと考えます。
自分が無いのなら、自分のものも無いのです。自分のものではないから、思いどおりに動いてくれなくて普通なのです。
ということは、たまたま思いどおりに動いてくれたときには、些細なことでも喜べばよいでしょう。
あるがままそのままです。
何事も自分の思い通りにはいかなくて当たり前です。自分の都合や頭で考えたようにはなりません。
もっと大きな仏様の働きにより私たちは生かされているわけです。
うまくいくとか、失敗とか、損得とか、そういう計算は、人間のエゴであり苦しみを生む元になるのです。
あるがままそのままです。
向き合うきっかけ
ribon さん、はじめまして。
どんなことがあったのか解りませんので、具体的にはお話しできませんが、ご自分で因果をお考えになって心当たりがないとのこと。
因果とは、心当たりがあるかないかの問題ではなく、自分の言動や意識がどう作用するかということですので、目に見えることばかりではありません。
知らず知らずのうちに、誰かに何かの影響を及ぼしたということも考えられます。
しかし、心当たりがないものは考えることが出来ませんから、あまりそちらばかりお考えになるのは今は少し置いておいてはいかがでしょうか?
人にはバイオリズムがあります。
仏教には説かれていませんが、浮き沈みがあることは確かです。
今は少し沈んでいる状態なのだろうと思いますが、焦らないことです。
あなたも「何かを学べということなのでしょうか」とおっしゃっているように、何かを学ぶチャンスなのかもしれません。
これを機会に、じっくりご自分の身辺を見直してみるとか、何か新しいことにチャレンジしてみるとか、もう一度一から出直すような気持ちで、しっかりご自分と向き合うきっかけになれば、何かがきっと変わるはずです。
いろいろ考えて立ち止まるよりも、今の時間をしっかり役に立てる方向に気持ちを切り替えた方が良いのかもしれません。
調子のよいときには見えない自分が今だからこそ見えるはずですよ。