自分より苦しい人がいてほしい。
自分の弱さに、情けなくなります。
わたしは自分より
苦しい思いの人がいてほしいと思ってしまいます。
あの人よりはマシと思って生きていないと
やってられないと思うことがあります。
これは寂しいことだと思っていますが、
やめられません。
どうしたら、
この考えをあらためることができますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「比較」を中心にしない
切実な気持ちをお聞かせいただきました。
「あの人よりはマシ」
と思うことは私もあります。その考えはあらためようとしても完全にあらためられるものではないのかもしれません。
人間が物事を考える時に「比較」をするということは染み着いた習性であり、自我形成の成り立ちから考えても避けられないものと考えます。誰かとの対比で自らを認識しているのですから、比べるのは当然なのです。
良い悪い、多い少ない、高い安い、早い遅い、汚いキレイ…
よって大切なことは、それをなくすことではなく、それを「拠り所」としない、「中心」としないことではないでしょうか。
「自分より苦しい人」がいて、それを見て自分が「楽になった」としても、「自分の苦しみが本質的に解決していない」ことに気が付くことです。
たとえあなたの苦しみがどんなにちっぽけな苦しみであっても、それに対し世界中の人が幸せになろうと、あるいは不幸のどん底であろうと、あなたの苦しみがなくならないとあなたは救われません。
誰も代わってくれない、誰にも代わってあげられないのです。
「比較」による「安心」は一時の麻痺状態のようなものであり、感覚が戻ればまた苦しくなります。
「比較対象」によって左右される幸福感は安定せず、本当の救いをもたらしません。
比べることはしょうがないですが、それだけでなく、あなたの苦しみの本当の原因を探りましょう。
比べることでうやむやにごまかさないようにしましょう。苦しみと向き合うことは辛いでしょうが、それさえ乗り越えればなにものにも左右されない自分が生まれます。
あなたの「苦しみ」「弱さ」を大切にしてください。
質問者からのお礼
〉〉「自分より苦しい人」がいて、それを見て自分が「楽になった」としても、「自分の苦しみが本質的に解決していない」ことに気が付くことです。
そうですよね。
わたしより苦しい人がたくさんいても
わたしはこれっぽっちも
幸せにはなれていませんね。
私の幸せは、誰かより幸せになれた時ではありません。
ありがとうございます!