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人間未満の生き方

回答数回答 2
有り難し有り難し 22

私は社会で生きていくのに向いていないのだと思います。目標も目的もなにもありません。楽しいと感じることがありません。あったとしても思い出せません。やりたくないことをやってまで成し遂げたい何かが無い中で、どうして生きているのかわからないのです。
死ぬために生きているなんて言えたら格好がつくのかもしれませんが、そんな大それたものでもなくただ惰性で生き続けています。

これまで、特に悲しいことや辛いことがあったわけではないと思います。人によって何が楽しくて悲しいことかは異なりますから、それを他人と比べて順位をつけることは難しいものです。でもきっと、私にとってこれからもそれは同じで、私やその周りに影響を与えるような大きな幸福も不幸もないのだと思います。身内の不幸ですら、私にとっては他人事のように思えて仕方がありませんでした。

私には、外で行動する友人のような人たちが少しだけいます。皆気持ちの優しいいい子たちばかりです。でも私は別に、そこにいなくてもいい人間なのです。これに限らず、大体のことはそうです。私はどこにもいなくて大丈夫なのです。それに気がついてからしばらくは、そのことがとても悲しくて何度も夢に見ました。でも最近では、そんなことはもう何とも思わなくなりました。初めからそのことを理解していれば、辛くなんて感じないものです。夢に見ることもなくなりました。それがいいことなのか悪いことなのか、私には判断することができません。
つい最近、ある人に私は「無」だというふうに言われました。きっと相手は半分冗談で言ったのだと思いますが、まさにその通りで、自分のどうしようもない心の内を見透かされたようで、何と言えば良いかわかりませんでした。

毎日少しずつ透明になって自分が自分ではなくなっていくような感覚がします。できることなら、このまますっと消えてなくなってしまいたい。
最近、毎日死ぬ方法を考えています。
でも自殺というのはどうやっても誰かに迷惑がかかってしまうものですね。
死ぬことすらできないこんな人間未満の人間はどうすればいいのでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

NAI

「無」と言われたんですね。
でも、お釈迦さまも同じこと仰ったんですよ。

「自分が"自分だ"と思っていると思うが、実はそんなんない。これを無我というよ」(超意訳)

この教えの説明はおいといて…
まるさんの言うことは仰る通りと思います。

仮にまるさんがこの世からいなくなったとして、家族も悲しむし、周りも悲しむし、ましてや自殺なんかしたら大勢に迷惑かけるでしょうし、沢山の人を辛く嫌な気持ちにさせるでしょう。

でも、世の中は終わりませんし、みんなそれぞれの生活に自然に戻っていくでしょう。

それは誰が亡くなっても似たようなもんです。
まるさんの友達も、テレビタレントも、私が亡くなっても同じ。
お寺も誰かが代わりにしてくれるでしょう。
そのときは真面目な人にしてほしーなぁ……

自分がいてもいなくても、結局世界は廻る。
なのに何故、この世に生を受けたのか。
心から楽しいことなんかない、
年は取るし病気になるし、いつか死ぬ。
なのに何故???

こうして始まったのが、仏教です。

まるさんと似たようなことを、悟る前のお釈迦さまも思っていたんですよ。
お釈迦さまが、毎日楽しくって毎日ハッピーで充実してたら、仏教は生まれてなかったでしょう。
ということは、私たちもハスノハも、もちろんなかった。
お釈迦さまが不幸を感じ、沢山沢山どうしたらいいか考えて下さったから、大勢が救われ、お寺も坊さんもハスノハもあります。

THE YELLOW MONKEYの「NAI」という歌にこんな歌詞があります。

「何もないあなたと 何もないわたし 何もない世界で、」

まるさんだけでなく、みんな無(NAI)です。
お金がある人も恋人がいる人も、結局あの世にゃ持ってけません。

そんな「何もない世界で、」の続きは自分の中にあります。
心の奥底に隠されています。
沢山沢山探さないと見つからないかもしれません。
お釈迦さまは見つけ出し、しかも探し方まで個人個人に指南されました。

まるさんも探して下さい。
今見えているこの世界の主役は、まるさんアナタなんですから。

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困っている人や悩んでいる人にとって、仏さまの教えが少しでも良薬となれること...
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人生は摩訶不思議ですから

拝読させて頂きました。あなたのお考えも正しいかとも思います。
人1人が亡くなってもそんなに世の中変わらない、確かにそうですよね。
ただ私達人間の意識レベルではそうかもしれませんが、人知を超えたレベルでは大きな違いや影響があるかもしれません、私達が認識しているレベルはおそらくほんのわずかの部分でしかありませんでしょうからね。
様々に目に見えないご縁の中で私達は生きていますから例え些細なものごとや出来事でもたくさん影響しあいなが休むことなく移り変わっていくのでしょうからね。
あなたのこれからの未来に於いてもあなたにとって大変なものごとや価値観を反転させるような出会いが訪れるかもしれません。
人はいつも死に向かって歩んでおりますが、それでもある日突然人生を変えるような出来事に遭遇するかもしれません。
人生は摩訶不思議です。期待しないでも良いですがあなたの人生を少し見つめながら生きてみてくださいね。
私はあなたの未来の出会いをなんとなく予想し期待していますから。

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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

ご回答どうも有難うございました。
そしてこんな長く鬱々とした文章を最後まで読んでいただき重ね重ねお礼申し上げます。

私には、お釈迦様のように考え抜いてひとつの答えを見つけることはできないかもしれません。しかし、何も無い中で自分だけの何かを見つけられたらそれはきっと素晴らしいものになるのだということは、少しだけわかりました。
死ぬまでの間はそれを目標にするのもいいかもしれないと思えました。

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