家族の事を嫌ってはいけませんか
以前、相談した際にありがたいアドバイスを頂きました。
そのおかげで家族の元から少し離れており、毎日穏やかに、そして幸せだな、と思えていました。
しかし、諸事情で再び家族と一緒に過ごすことになりました。
やはり前の状況と変わりありません。
例えば 洗濯の際、私が洗濯物を洗濯機に入れると「なんでいれんの?」と言われます。(ほかの家族は普通に入れて洗濯しています。)
食事も同じです。「なんで食べんの?」と。
服にも文句を言われます。「なんでその服着てんの?」と。
毎日毎日母と祖母両方に言われます。
この繰り返しです。
掃除、洗濯、など家事を手伝っても同じ状況で、「なんであんたは何もやらないの?」と言われました。
もう嫌です。
出来るならば離れたいのですが 行く場所がありません。
どうしたらいいのでしょうか。
長々と読んで頂きありがとうございました。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
『お詫び』
投稿した文章は仏典・論書・祖録等を引用して予め法理を明示しなかった為に、回答内容が仏教とは異なった通俗的な価値観に比重を置いたアドバイスになっておりました。
この回答が仏教を学ばれる方々の妨げとなる可能性がありましたので、まことに勝手ながら回答を全て削除させていただきました。
代わりにここでは、仏教の概要を少し紹介させて頂きたいと思います。
『仏道』
仏教の門戸とその修行法は多種多様でありますが、その道のりの先にあるのは解脱です。
大乗仏教では、菩提心がその人に現れる時から仏道は始まり、数多の転生を繰り返し、数多の大師や仏菩薩と出逢いながら、久遠の修行の時を経て、その人の全てが捧げ尽くされ、そこで菩提心が開示されます。
道の始まりから人は、菩提心に導かれ解脱へ辿り着きますが、そこで悟るものも菩提心です。
道の初め、自らの苦しみからの解放を求める切なる純粋欲求であった個人的な菩提心はやがて、すべての存在を救いたいという祈りに裏打ちされた不屈の意志と信心をその人に刻み付け、非個人的な菩提心が解放されます。
そのような菩提心と與に道を歩む人を菩薩と呼びますが、菩薩の意志や信心、原動力の源が解脱の時に悟ることになる菩提心です。
菩薩が歩む大道の上には、見道や解脱、その先に続く仏としての完全な成就の因となる多種多様な修行が立ち現れます。
日本仏教という道もこの大道を源としているので、全ての道はそこへ還りつくようになっています。
その人の道はその人にとっての真性の師である覚者との邂逅や、久遠の時を與にしながら道を歩んだ法友との再会によって開かれ導かれていく歩みであると伝わっております。
どうかびよむ様の出逢いとその歩みの上に障碍がありませんように。
願以此功徳
普及於一切
我等與衆生
皆共成仏道
合掌
方言じゃないの?
こんにちは。色んなことに家族からダメ出しをされるのは、なかなか辛いですね。
もうね、毎日なのであれば、彼女たちもそれが口癖になっているんでしょ?まるで「…だべさ」みたいな方言じゃないの?意味なしだけどくっついているという。スルーできないかな、それ。
だって、答えようとすればできる質問でしょう?「汚れたから」「お腹減ったから」って。軽い嫌がらせですよね。で、不思議なのは「用意しているのに"なんで食べんの?"って聞く」ことです。食べさせたくないなら、そもそも準備しなければいいのにね。
で、糸口として考えられるのは、貴女の妹さん。「なんで私のこと、あんなに邪険にするのかしら?何か思いつく?」って聞いてみることはできませんか?色んな愚痴が妹さんに入っていることは考えられませんか?
で、質問の「家族を嫌っては…」は、ご家族からすでに嫌われてるっぽいのですから、「それはイカンよ」と言いたいところですが、貴女の方からも嫌いになってしまいたい、と言うのは分かります。
恨みに恨みで返しても、解決にはなりません。しかし前回・今回の質問を読む限り、当面は離れる、というのが良いのではないかと思います。根本的な解決は、彼女たちの真意を知り、それに対して貴女が何らかの答えを出すことだとは思いますけれど。
ということで、まずは妹さんにアタック。「私から見ても、酷いと思うよ」という答えが返ってくる可能性はありませんか?


