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突然の父の死について

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有り難し有り難し 73

初めまして。
父親の死に対する様々な思いについて、ご相談させて下さい。

今年2015年3月18日に、父が急逝しました。
浴室で、何らかの原因で意識を消失し、風呂のお湯を飲んだ事による溺死。
享年83歳でした。

私は2015年2月まで東京で7年間暮らしており、3月に実家の九州へ帰郷したばかりでした。

父親はプライドが高く頑固な性格で
子供の頃は怖い、苦手というイメージを持っており
大人になっても、あまり父と真剣に向き合ったり、接する事は少なかったと思います。

しかし自分が歳をとるにつれ、父親が自分の一番の理解者である事を感じるようになり
自分の人生や両親の事など、色々考えた結果、帰郷する事に決めました。
そして、まさに帰ってこれからという矢先に、父が亡くなってしまいました。

今まで父とあまり話せなかった分、これからもっと色々な事を話したかった。
父が近年ずっと気にかけていた、私への心配(仕事・結婚)を無くしたかった。
(再就職、そして結婚して、孫の顔を見せたかった)
これから父を支えていきたかった。

そういった父への叶わぬ願いが「もっと早く行動しておけばよかった」
という自分への後悔に変わってしまい、ずっと心から離れません。

葬儀の時「お父さんは、お前が帰ってくるのを待っててくれてたんだろう」
「お前に看取って貰えて嬉しかっただろう」と、親戚が言ってくれましたが
私は何一つ父に返せないまま父を亡くしてしまった、間に合わなかったという思いが強いです。

また、父の存在の大きさに亡くなってから改めて気づく部分も多々あり
父と今の自分をつい比べ、自分を卑下してしまう事もあります。

そして現在、父が亡くなり、残った母は要介護の為に老人ホームへ移り住む事となり
実家には自分1人で住んでいます。

自分が生まれ育ち、両親との思いがつまった家で、1人で暮らしていると
様々な思い出や、父の面影が頻繁に頭に浮かび、喪失感が募ります。

特に浴室は父が亡くなった場で、死んでいる父を私が発見したのもあり
毎日必ず入る場でもあり、入浴時に思い出さない日はありません。

父が亡くなって現在3ヶ月が経ち、先日、百か日の供養を済ませた所です。

後悔と喪失感に苛まれる現状から、気持ちの折り合いをつけていくにあたり
何か助言を頂けたらと思っています。

宜しくお願いします。

2015年6月29日 15:26

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

手を合わせる時間を大切に

ヒデユキさま
はじめまして、なごみ庵の浦上哲也と申します、よろしくお願いします。

ご質問のタイトルを見て、反射的にキーボードを打ちはじめました。
何故なら14年前、私も父を突然に亡くしたからです。

私はお寺ではなく一般家庭の出身で、年の離れた兄が2人おります。父親は仕事だなんだで顔を合わせない時期も多かったので、ヒデユキさんと同じく、真剣に向き合った記憶も無く、接することも少なかったように思います。

それでも父は、私が僧侶になったことを喜んでくれていた様子でしたが、ある日、半分趣味のような仕事に出た先で、突然に亡くなりました。それこそ何も親孝行をできていなかったので、14年経った今でも残念な気持ちがありますし、今後も消えることはないでしょう。

ヒデユキさんのお父さまは実家のお風呂場で亡くなり、ヒデユキさんがそれを発見したのですね。私の父は遠方で亡くなったので、ごくたまにその地域に行くと、強く思い出されます。
しかし、亡くなった場所が自宅、しかもお風呂場となれば、入浴するたびにつらいお気持ちになっていらっしゃるのではないかと心配です。

法要はされているようですが、お仏壇などでの日々のお参りも、ヒデユキさんの気持ちを落ち着けるために大切なことだと思います。別に鎮魂とか慰霊という意味合いではなく、お父さまと向き合い、心の中で語り合う時間をお持ちになってはいかがでしょうか。

今までの人生でずっと存在していた方が亡くなったのです。後悔と喪失感に苛まれるのも無理のないことと思います。私は父が亡くなったことが腑に落ちるまで、丸2年かかりました。

お父さまは仏さまとなって、ヒデユキさんのことを見守っていらっしゃいます。少しずつでけっこうですから、お父さまに安心して頂けるよう、ご自身の人生を歩んで参りましょう。

2015年6月29日 19:01
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有り難し
おきもち

浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...

恩返し

ヒデユキさん、はじめまして。

昔から「孝行のしたい時分に親はなし」といいます。

世の中には幼い頃からしっかり親孝行をしている方もいるかもしれません。
でも、恐らくみんな、大なり小なりヒデユキさんと同じような心持ちを持っているはずです。

私も母を30代で亡くしました。
私を身ごもってから体調を崩し、医者に堕胎を勧められても無理して私を産み、それから30数年間入退院を繰り返した母でした。
ご多分に漏れず、私も母に対して何も恩返しが出来ませんでした。
私を産むために身体を壊したようなものですので、母が亡くなってしばらくは、ヒデユキさんと同じようなことをずっと考えていました。

そんな私でしたが、今ではよく葬儀の場でこんな話をします。

ご両親があなたを生むとき、何か大きなもの望んで生んだのでしょうか?
恐らく、どこの親御さんも「五体満足に、健康に生まれてきますように…」

子供が成長するにつれて、色んな期待をかけたかもしれませんが、最初に願った本当の望みは、そのくらいささやかなものだったはずです。

幸にして五体満足で生んでくれたこの身体がここにある。
「お前のためにしっかり使えよ」と与えてくれたこの身体がある。

たとえ親御さんのご生前に孝行出来なかったとしても、与えてもらったこの身体を自分のために存分に使うこと。

あの世という世があるならば、自分が人生を終えたときに、ご両親のところに行って
「あなた方に与えていただいたこの身体を、私は存分に使い切りましたよ。ありがとう。」
と伝えてあげることができるなら、それほどの親孝行はないはずです。

お父様は、あなたの中にしっかり生きています。

お父様に見せていただいた色んな姿、色んな言葉、それをあなたが一日も早く自分なりのものにして、歩き出せる日が来ることを祈っています。

幸にして、ヒデユキさんにはまだお母様がご健在です。

日蓮聖人のお言葉に
「親によき物を与へんと思いてせめてする事なくば一日に二三度え(笑)みて向へとなり」
というものがあります。

親御さんになにか恩返しをしようとして、特別に思うところがないときには、一日に一二度で良いから笑顔で向かってあげなさい。
というような言葉です。

お母様、大切にしてあげて下さいね。

2015年7月2日 8:58
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有り難し
おきもち

日蓮宗。倉敷市受法寺住職・岡山市妙立寺兼務住職 1965年生。坊主歴35...

質問者からのお礼

なごみ庵
浦上 哲也様

実体験に基づくお言葉、ありがとうございます。
親を突然亡くすという悲しみは、本当に深いものだと痛感しています。
そして何より、父と一緒に暮らし、父が亡くなった家で1人で暮らすのは未だに辛いですが
その家で暮らしているが故に、毎日仏前でお参りし、父と心の中で向き合う事は欠かさず続けております。

親孝行が出来なかったという後悔はもう消すことは出来ませんが
今は自分の人生を第一に考え、自分自身が幸せになる事が父への親孝行だと信じて
これから少しづつ、自分の人生を歩んでいこうと思います。

私も父の死が腑に落ちるまでには、まだまだ時間がかかりそうですが
また辛くなった時には、この回答を見て心を鎮めたいと思います。

ご回答、ありがとうございました。

受法寺
小原 観慈様

ご回答ありがとうございます。
「孝行のしたい時分に親はなし」本当に今、身に染みて感じています。

私はまだ人の親ではありませんが、小原様が仰る通り
子供を産む時に、親が最も望む事はきっと「五体満足に、健康に生まれてきますように…」この願いだろうなと思います。

父からまだまだ教わりたい事は沢山ありましたが
今まで父を見て育ち、受け継いできた様々な物を自分の糧とし
父の息子として胸を張ってこれからを生きていけるよう、少しづつ立ち直って歩んでいけたらと思います。

母は幸い健在ですが、要介護でサポートが必要な為、施設と家族で協力して支えていこうと思います。

父が亡くなってから、家の中に沢山飾ってある家族の写真を見て、改めて思ったのですが
写真に写る父は笑顔が多いな、と思いました。
「親によき物を与へんと思いてせめてする事なくば一日に二三度え(笑)みて向へとなり」
この言葉に習い、私も仏前では笑顔で父に向かおうと思います。

ご回答、ありがとうございました。

「身近・大切な人の死・亡くした後悔」問答一覧

亡き父への後悔ばかりで苦しい

先日、父が咽頭癌で亡くなりました。12年前に若年性認知症を発症(原因は、私が出産の為に実家通いが出来なくなるので一人暮らしの父を2カ月程住まわせ気疲れさせたのが原因かもしれません。)認知症の薬を絶やさないよう12年ほぼ毎日車で往復40分かけて実家に、父の好きなお酒と一緒に持って行くのが日課になっていました。数年は苦にもならなかったのですが、私の子供も大きくなるにつれ段々と父の存在が煩わしくなっていきました。4年ほど前には、私自身が鬱症状が出てしまい、同時期に子供も人間関係から不登校になりメンタル面も弱まり学校を転入したり、またその下の子供も同じく高校に暫く通えなくなるなど4年の間にとても大変な事ばかりでした。父の病気が発覚したのは余命1カ月と宣告された8月の事です。振り返ってみれば、父の異変に気付いたのは半年程前でした。声がれの症状でした。でも私にはそれくらいの事など気に止める余裕すらありませんでした。6月久しぶりの病院の受診、先生にも食事の咳き込みで癌ではないかと尋ねてはみましたが肺炎になっていてそちらを優先に治すと言う事で耳鼻科の受診も2カ月が経つまで先延ばしにしてしまいました。その間は私の家で父親を住まわせ食事や薬の管理もしていましたが、2番目の子供の不登校と重なり、子供の事が一番大事一番心配で、父親の事など邪険にしていました。食事をする度に咳き込み額には汗びっしょり、冷房もない部屋に扇風機だけ、しかもお粥を作ってあげたのは家に居た最初と最後だけ、あとは普通食でした。もう既に私は、父と目を合わせて会話する事もなく、イライラして怒鳴ってばかり。私は独り言で「早くくたばればいいのに。死ねばいいのに。」と言った事もありました。最低な娘です。こんな性格の私じゃなかったはずなのに本当に鬼のように変貌していました。しかし、余命1カ月と宣告され病院生活になってからは、鬼のような私は消え去り、父に直接今までの事を詫びたりもしました。認知症の父は、私から邪険にされていた事など覚えていない様子でした。そして最期の時も、2人姉妹である私と妹で看取ることが出来ました。しかしやはり4年間父親をないがしろにしたと言う事がどうしても消え去りません。本当に父に申し訳なかっと涙が溢れ出てしまいます。出来る事ならもう居ない父親と交信し、謝りたい。許してくれなくてもいいから謝りたい。

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亡くなった姑に対する悩み

今年の6月終わりに姑が68才で亡くなりました。アパートでの孤独死でした。 去年の10月ぐらいに、姑の調子が悪いとアパート管理人から電話があり検査の結果、腰の骨が折れていました。 その当時、姑はパートを辞めたばかりで保険証の切り替えをしておらず、無保険の状態。今から私が取りに行くから!ということで無理やり診察をしてもらいました。即入院ということでしたが、個室しか空いてる部屋がありませんでした。そのため、姑は必死に入院をいやがり、看護士さんに悪態をつく始末。半ば医者に怒鳴られて、追い返されました。 仕方なく、病院をでて、アパートまで連れていきました。始めて中に入ったのですが、中はゴミ屋敷状態でした。部屋からはタバコのやにわにの臭いが強烈に漂い、至るところに栄養ドリンクのビンが転がっていました。とりあえず、場所をつくり保険証の切り替えに部屋をでました。 役所に出向き、保険証を社保から国保に切り替え、今の事情から包括支援センターに電話するとよいと教えていただきました。そこのつてを頼って、なんとか空いてい整形外科を見つけて入院。 義姉が、通帳を預かったそうですが、残高は0、10万ほど借金があったようです。また、年金が月8万ほどしかなく、家賃が3万円。月に5万での生活。退院後、3ヶ月義姉のところで療養アパートに帰ってきました。 部屋は義姉が綺麗にしたそうです。 お金のことが、気になってはいましたが、昨年、祖母、姑の母が亡くなり、70万ほどでしたが遺産があると聞いていました。そのため、急には困らないと思っていました。主人には、生活保護の申請をしたらどうだろうか?援助したらどうだろうか?と相談していましたが、大丈夫、の一言でした。昔は家事をしていた、ケガがなおったから大丈夫だと。でも、部屋の様子は、かなり前からセルフネグレクト。 でも、もし私が口を出せば、全てを任せきられることはわかってました。入院中も一人で面倒をみたから。介護を入れるにも、先立つものがいる。私には四人の子どもがおり、金銭、時間的にも姑の面倒までは無理でした。 あの時、皆に反対されても包括支援センターに電話して、生活保護の申請をすれば、亡くならずにすんだのではないか?もっと、まともな生活ができたのではないかと悩んでいます。 もう、亡くなったのだから...とは思いますが後悔の思いがあります。

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先週、6年と少し飼っていたペットのウーパールーパーを私の油断から死なせてしまいました。 6年前、おそらく生後2ヶ月位の頃に、ご縁あってその子は私の元へやってきました。頂いたなら育ててみようか、位の軽い気持ちで飼い始めましたが、世話をして日に日に成長する姿を見ていつしかとてもかけがえのない私の家族になりました。 ウーパールーパーは暑さに弱いので、夏は室温と水温の管理をし、万が一を考え外泊もしていませんでした。去年までの夏はこれで乗り切ってきました。 ところが今夏、私のどうしても観ておきたかったものが地方で開催される事を知りまた日帰りの距離では無かった為に、一晩だけ家を空ける事にしてしまいました。 夏は私が不在の時、水温が上がらないようにエアコンを常時つけており、エアコンをちゃんと点けてさえいれば一晩くらいなら大丈夫だろうと思い私は出掛けてしまいました。 翌日夜、帰宅して水槽を覗くとウーパールーパーが亡くなっていました。 前日朝にはいつも通りの姿を見せてくれたのに、と信じられない気持ちと、自分のしでかした事の重大さに打ちのめされました。 翌々日、近所のペット霊園にて火葬と埋葬をして頂きましたが、亡くなってから一週間経つ今も後悔ばかりで涙が止まりません。 私が自分の都合を優先したばかりに、あの子の死に際に立ち会えなかったこと。 また、私が居れば何か出来たかもしれないという自責。 全て今さらな事なのですが、見届けられなかった最期を想像するだけで自分を消してしまいたくなります。 また、死に目に会えなかった事は私が自分の都合を優先した事に対するあの子なりのメッセージのような気がしてなりません。 昔から家族というものに恵まれなかった私に、あの子だけが唯一の「無償の愛」を教えてくれました。 そんなあの子に私は酷い事をして死に追いやってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいです。 これからどのような心持ちで生きていけばあの子への贖罪になりますでしょうか。

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一緒に住んではいませんでしたが母が亡くなるまで短い時間でもほぼ1日1回は顔を合わせていました。 そんな母と、一緒に同じマンションで暮らせる(階はちがいますが)ようになり6日目、私が作った朝ゴハンのおにぎりを喉につまらせ急逝しました。 私が仕事で急いでいて寝ていた母を起こしボオッとしていた母に食べさせたのがいけないんです。 私は今まで母の通院にも必ず付き添い買い物も一緒に行ったり買い出ししてきたり周りから見たらいい娘だったかもしれません。 でも実際実家では、寝てばかりで何もしない(病気のせいでダルかったんだと思います)母を怒鳴り泣かせタッパーのような物で頭を叩いたり本当にひどい娘でした。 手も悪かった母はシッカリ歯磨きできないこともあり口が臭うことがあると臭い!と怒ったり、シートベルトが出来ずモタモタしているとベルト出来ないなら乗せないよ!と怒鳴ったり、転んで腰が痛いと言っていた母に寝てばかりいるから悪いと怒鳴ったり・・・しかし母は腰を圧迫骨折していて痛かったのだと後々わかりました。 圧迫骨折の影響で歩くのが困難になり始め腎臓も悪くなり透析の準備の手術もし施設か自分の家の近くに住んでもらうか悩んでいたところ私のマンションの1階が空いたので母に施設と私と同じマンションに住むのどっちがいい?と尋ねたらマンションと言ったので契約をしトントン拍子に物事が進んでいきました。 実家の荷物は遺品整理屋さんで生前整理として片してもらった矢先、母が亡くなりました。 母の物はほぼ無くなって本当の遺品整理になってしまい喪失感がひどいです。 母が大好きだったし優しくしたいと常々思ってはいたのですが仕事と家のストレス等で母にあたってしまい以前の母なら出来たはずなのにナゼ出来ないとの戸惑いもあり日々会うたびに怒ってばかり。 母は言葉が出づらかったので反論もせず私に怒鳴られ叩かれ泣き毎日辛かったと思います。 今は何で優しくしなかったのか、なんで急いでおにぎりを食べさせたか、何で詰まった時にゴボゴボ吐き出す母のお茶を取り上げてしまったか後悔の毎日です。 仕事が早く終わると母に買い物に行く?と電話をしていたのに電話しても出てくれる人もおらず今は母がいなくなった時間で何をしたらいいか・・・。 遺影に毎日お母さんゴメンねと語りかけ涙する毎日です。 この喪失感と悲しみと絶望と後悔はどうしたらいいのでしょうか

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母が20日前に亡くなりました 認知症と肺疾患を患っていた母 父からの暴力を受けてた母 主人が単身赴任していたこともあり 3年半前に私が引き取り 2人で暮らし始めました 話が噛み合うことも たまにはありましたが 認知症のせいで 人格障害 激昂や 私に執着したりする症状 子供返りに 悩まされました 私は母を引きとることに 躊躇していました パートで仕事に出ている間 母を1人で置いてくのが不安だったため デイサービスやショートステイを頻繁に利用していました ショートステイに行ってる間は 会社帰りに寄り道できたり 自由を感じていました 自分の事を最優先にして 母の事は二の次でした 亡くなる二、三ヶ月前から 肺機能が極端に悪くなり いつ亡くなってもおかしくない状態でしたが その頃から 夜中ベッドから私を大声で呼びかけるようになりました トイレに行きましたとか ベッドに上がらせてとか 私は知らんぷりを決め込み 母を手助けしませんでした 翌朝 母に 聞いても 覚えてないと言ってました 母が自宅にいる日は毎日続きました 失禁も多くなり 痰を洗面台に吐きっぱなしにしたり 尿の臭いがキツく ティッシュを無駄遣いしたり ご飯要るといいながら 食べなかったり 私は自制心が効かなくなり 母に酷い言葉を浴びせました オムツ交換の時も足を上げようとしない 母の足を何度も ペチペチと叩きました 母は二酸化炭素を排出できない病で 運動機能や記憶 排泄機能 いろんな ところに障害がでていたことに 私は気づきませんでした 私は小さな頃から 父が母に暴力を目の当たりにして 育ちました 母が沸騰したお湯を床に置いてしまった せいで 幼い私は足を突っ込み 火傷を負い 傷が残りました 先天性の股関節の病もあり 自分は母に 迷惑ばかりかけられていると詰りました 母が倒れる前の晩にそんなことを言いました これまで何度も母と離れたいと思ってきたけど 限界に近かった 本当に心底母から離れたいと思ってしまいました そして 母は倒れ 丸2日苦しんで 私は母を見送ることも出来ず旅立たせてしまいました 母に酷いことばかりして 母に優しくしてあげることができず 悲しい記憶ばかりが残ってしまいました 母に謝まりたい でももう届かない 苦しくて 辛いです 私はどうしたら良かったのか わからないままです

有り難し有り難し 22
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兄の死 後悔

兄が亡くなり3週間立ちました。兄は事故にあい、一度死にかけた命を一度とりとめ、必死でリハビリをして頑張っていました。私は出産したばかりで兄に一度も会うことができないままでした。会いに行けないのには理由があり、精神的に不安定で暴力事件をおこし拘置所にいたからです。両親が出産したばかりだから会うのは落ち着いてからと言われていました。しかし、時は立ちましたがなかなか会いには行けませんでした。兄はいつも妹を心配してくれていたと聞きました。なのに、私は兄を見離してしまいました。とても心が優しく綺麗で繊細な人なのに、助けを聴いてあげることもできなくなっていました。苦しんで傷ついて辛い時を、私はどうにもしてあげれませんでした。両親も自分を責めているから、私は親の前では泣けません。兄が一生懸命生きる事を教えてくれているのだと思いますが、兄に会って優しい言葉を何でかけてあげれなかったのか、毎日後悔しています。潰されそうです。兄はお前は幸せになれよ!って、いつも言っており、私は兄が幸せじゃないと幸せにはなれんよ!って。本当に優しい兄でした。精神的に病んでからは人格が変わってしまい、手をつけられず、家族も何度も 崩壊しました。生きるか殺されるかの瀬戸際で暮らしていました。兄を憎むこともあったけど、リハビリを頑張って必死で歩こうとしてるのに、私は会いに行かず優しい言葉をかけてあげることもしないまま、兄は病院で窒息死しました。兄を想わない日はなかったですが、なぜ一目会って話てやれなかったのかと申し訳なさでいっぱいです。私は両親も心配です。兄が因縁を全て背負い込みかわいそうなことをしてしまったと。今の私はどうしたらよいのでしょうか?涙で枕を濡らす毎日です。主人や子供もいるから、ちゃんとしなきゃと思いますが、後悔で潰されそうです。

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