心のモヤモヤ
はじめまして。
どうぞよろしくお願いします
私は父、母、弟、犬2匹と猫1匹と暮らしています。この度、憧れだったオーストラリアに2年の予定で語学留学をします。
自分で決めた事なのに、渡豪する日が近づくにつれ寂しさや不安に押しつぶされています。
一緒に暮らしてると喧嘩ばかりしてるくせに、特に仲が良いワケでもないのに家族と離れるのが辛いんです。親も高齢なので何かあったらどうしよう。近くに居ないから手を貸してあげれないなとか、ペットも高齢なので会えるのは最後かな…とか考え出すとどんどん不安になってきて私の決断は間違ってたのかなと、分からなくなってきます。
私は何一つ親孝行もできないまま、親元を離れるのはヒドイ娘でしょうか?
でも自分の夢を諦めたくないんです。
この不安や寂しさをどう乗り越えたら良いでしょうか?
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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生きることはモヤモヤすること
前回と同じご質問、お悩みですね。
では、どうでしょう。留学をやめたらいかがでしょうか。
お望み通り、高齢のペットの最後も看取れるでしょう。ご両親に何かあっても介護ができます。親孝行もでき、感謝されるでしょう。
家族の「ため」、ペットの「ため」、本当にそれがお望みならばそれもよいのではないでしょうか?
はい、意地悪な事を申し上げましたね。
きっとそうしても心はモヤモヤするでしょう。家族の「せい」で、ペットの「せい」でそう考えてしまう自分も想像されるのではないでしょうか?
それは親孝行したいという純粋な気持ちだけではなく、「ヒドイ娘と思われたくない」という自分の都合のいい気持ちの裏返しなのかもしれません。
なかなかどうして私たちに純粋な気持ちというのはありません。
また、気持ちが一つに定まっているということもありません。
つまり、生きるという事はモヤモヤするという事です。そのモヤモヤの中で、「私はこうしたい」と選択し、決断する他はありません。
そしてその私の選択・決断が実際に実現できるかどうかは多くの「ご縁」によるのです。
だからこそ、今あなたの選択・決断を支えてくれている大きな大きなご縁である家族、ペットに対し、
精一杯の「今までありがとう」の感謝と「そばにいられなくてごめんね」の気持ちをお伝えして、旅立てばよろしいのではないでしょうか。
それはあなたの心をスッキリさせるための「ありがとう」と「ごめんね」ではなく、一人の人間として、「今」の自分を支えるご縁に目覚めたからこその言葉です。
言うならば、「モヤモヤしたままでも私はしっかり生きていきます」という独立宣言であります。
モヤモヤしながらも選択・決断し、「ありがとう」と「ごめんね」の気持ちを忘れずご縁の大地で独り立ち、歩んで行きましょう。
それは孤独ではなく、「ご縁というつながり」の中を「私」という独立者が歩む道です。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
何度も何度も、読み返しました。
今は「〇〇のため」という気持ちですが、
きっと「〇〇のせい」という気持ちになり都合良く自分以外の事を責めてしまいそうです。
モヤモヤの中
途中でコメントを送信してしまいました。
申し訳ありません。
モヤモヤしたままでも私はしっかり生きていきます。という独立宣言。
ご縁の中で感謝の心を忘れずに頑張りたいと思います。
気持ちを前向きに変えて下さって本当にありがとうございます。
孤独ではないですもんね。
また何かありましたら質問させてください。