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不寛容な世間に対して生き難く感じる回答受付中

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有り難し有り難し 1

いつもお世話になっています、特定の回答が存在しない気もしていますが抱えている気持ちを吐き出したくて投稿させていただきます。

いじめの問題であったり、有名人の不祥事であったり何かしら悪い出来事が起きると私刑を行う人がかなりの数いて、それに対抗してと言わんばかりに法治国家なんだから云々…と反論したりするような光景を見る機会が日に日に多くなっているような気がします。

私自身は、いじめやら不祥事を肯定する気は全くありませんし、いじめなんて言葉は犯罪に置き換えた方がいいとも思ってます。一方で、私刑そのものも肯定するつもりは無いとも思っています。

さっき挙げた私刑を行う人々に、それを必要悪と擁護する人々とそれに対しての反論をする人々…自分にとっては正直似たり寄ったりでしかないと思っています。どちらにしても、自分の面倒を自分でみれてないか暇なのかのどれかなんだろうなと思ってます。

私刑を肯定する側も実際に加害者に直接危害を加えるか、または被害者の救済をしたりなんて話もないですし法治国家だから云々を言う人たちも、仮に被害者と同じ目に遭ったら掌を返すんだろうなとしか思えません。

というのも、死刑制度廃止派の弁護士がいてその弁護士の家族が殺人の被害者になった際に死刑制度賛成に回った例があるので人なんてその程度だと自分は思ったからです。

どれだけそれらしい事を正しいように言っても、彼らは結局口だけでしかない。中身の入ってない樽のような物だとしか思えませんがそれを自覚している人はおそらくいないんだろうなと考えています。

一方で、自分はそんな人達に対して持っている感情も結局見下しているだけなんだろうなとも思います。そんなに言い争える体力があるなら行動すればいい、正しいかどうかはさておき財務省で解体デモをしていた人たちの方がもう少しはマシだと思いました。

自分なりに、他人に対して少しは寛容になってみたいとも思ってはいますが、世間の流れは逆に感じていっそ暴走するところまで暴走してしまえばいいとさえ思いました。そうすれば、少しくらいはわかるんじゃないか、と…

長くなってしまって申し訳ありません、SNSや動画サイトも見るものは絞ろうと思いましたが気になってつい見てしまう自分が嫌いなだけなのかもしれません。何となく生きにくさを感じていたのは事実ではありますが…

2026年1月22日 20:36
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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたの抱えている感情は、とても繊細で、かつ現代の空気を鋭く捉えているものだと思います。正義を語る人々がどこか薄っぺらく見えてしまい、それを見て冷笑的になる自分にも嫌気がさす、その矛盾に苦しんでいるのではと感じています。

たしかに、ネット上で飛び交う正義や怒りの多くは、個人のストレスのはけ口のようにも見えます。そしてその裏には「自分は正しい側に立ちたい」「悪とされるものを叩いて安心したい」という心の動きがあることも否定できません。

けれどそれは、ある意味で人間らしい反応でもあります。私たちは、不安や恐れを感じるときこそ「正しさ」という拠り所を求めたくなるものだからです。

あなた様の視点には、他人を冷静に観察する力と、同時に「そんな自分もまた、誰かを見下すことでバランスを取っているのでは」と自己を省みる誠実さがあります。その自覚は、いま多くの人が見失っているものだと思います。だからこそ、あなたの違和感や怒りは決して無駄ではなく、大切な現代社会の問題点を洗い出されていると思います。

ただ、その感性が過剰に疲弊してしまうと、「いっそ暴走すればいい」という思考に向かってしまうこともあるでしょう。それは、心が限界に近いサインでもあります。だからまず、外からのノイズを少し遠ざけることをおすすめします。SNSやニュースを“断つ”のではなく“絞る”。見る時間を決める。自分を守る選択を“行動”としてとることで、心の負荷は確実に減っていくのではないでしょうか。

そして、他人に寛容になりたいというあなたの願いも、同時に「自分自身を許したい」という心の声かもしれません。人を軽蔑する気持ちが湧くのは、どこかで「自分だって、本当はこうなりたくない」という反発でもあります。そのことに気づいているあなたは、すでに変化の途中にいらっしゃると思います。

完璧に寛容になる必要はありません。怒りや嫌悪を感じたら「今、自分は疲れてるんだな」と受け止めるだけでも十分じゃないでしょうか。

そしてときには、静かな場所で、何も評価せずにいられる時間を意識的につくること。現代では、それが“行動する寛容さ”の第一歩なのかもしれません。

ご自愛ください。

2026年1月23日 10:29
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有り難し
おきもち

広島の山あいで、今日も「なんまんだぶつ」とつぶやいています。 浄土真宗本願寺派の僧侶、ケンコウと申します。 日々の中には、言葉にならない思いや、誰にも言えないもやもやがあるものです。 そんな時こそ、仏さまの教えが、ふっと心に灯りをともしてくれることがあります。 この「はすのは」では、あなたの声に耳を傾けながら、一緒に“いま”を見つめ直す時間をつくっていきたいと思っています。 堅苦しくなく、あたたかく、時にゆるく。 どうぞ、あなたのお話、聞かせてくださいね。

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