hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

気持ちの整理の付け方回答受付中

回答数回答 2
有り難し有り難し 13

クレーム後、相手からの対応に悩んでいます。
15年ほど前から家の前に路上駐車されるようになり、駐車場からの出入りはできますが歩行者や車も多くて見えにくくずっとモヤモヤとしていました。
時が経ち、自然とどのお宅かわかるようになり、日頃お世話になっているお宅でした。
お世話になっているし、朗らかな方だし、ずっと言えずに過ごしてきました。
しかしだんだんとここは停めていいと周りが認識し出して他の知らない車も停めるようになっていよいよ気持ちに限界が来て警察に相談しました。
結果的には違反だということで取り締まることができるようでしたが、どのお宅かわかっているなら巡回しながら折を見てまずは話をしてみます、と言っていたのでそうしてもらうことにしました。

そのあとです。
顔はかたく、挨拶もなくなり‥
話をすることもなくなりました。
察したのだと思いました。
言わなきゃよかったのかなと思いました。
直接言えばよかったのか、とも思ったり。

始まりはその方ですが、他の人も停めているのになんでうちだけ?と思っているのかも。

しかしお世話になっている方だったので切り出し方も難しくずっと悩んでいたのです。
私は、何か選択を間違えてしまったのでしょうか。
さらにモヤモヤするくらいならずっと我慢していたらよかったのでしょうか。
もう2年ほど前の話ですが、最近関わることが多々あり考えてしまいます。
気持ちの整理がつけれずにいます。

主観的にしか見れなくなっているのかもしれません。
客観的にみてどこが間違っているか、また気持ちの整理の付け方など、なにかヒントがありましたらよろしくお願いします。

2025年4月15日 8:51

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

モヤモヤの正体

まず、になさんが「もやもや」されているということ、すてきだと思います。

理由はなにであれ、お相手さんの立場やこれからの関係性を 配慮 しているからこそ生まれる感情なのだとおもいます。

仏教では
生きていく中でもやもや(苦しみ)はなくならないと説きます→一切皆苦
(ドライな意味に聞こえてしまったらごめんなさいね)

そのもやもやに心をすり減らすのか、
そういったもやもやを見つめながらも、自分の感情の中の「どこ」に折り合いを見出すことができるのか?
さがしていく作業も生きる上での醍醐味かもしれません。

とはいっても、自宅の前に車を停められるのであれば、警察へ相談することは
いたって「普通」のことです。

になさんが必要以上に気に揉むことはきっとないんだと思いますよ ^^)

2025年4月15日 15:55
{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
問いの正解はわからないですが いっしょに考えることはできるかもしれません^^
ハスノハ姉妹サイトの🍀ハスノミ🍀の運営もしています😉✨

人間だもの

ご相談拝読しました。過去にこちらでご相談でされていた納得できず気になっていたことを実行されたのですね。

結果的には警察が動いてくれたわけですから、あなたは間違っているわけではありません。

ただ、難しいのは、人間というのは正しいことを全て受け入れられるわけでもないし、間違ったことの非を素直に認められるわけでもないということです。めんどくさいですよね。

基本的には、あなたは間違っていないわけですから堂々としていたら良いと思います。

ひとつ線引きをしなければいけないのは、違反駐車に対する対応はある意味コントロールできたわけですが、それにともなう他者の感情や行動までコントロールできるわけではないということ。

間違っていないのだからみんなそれを受け入れて行動を改善し、さらにはご近所付き合いも快くすべきだ!というのは行き過ぎかもしれません。違反駐車を止めれたことで満足しましょう。

ご近所ということで、これからもどうしても関係が続くことから気持ちの整理も難しいでしょうが、こればっかりは慣れしかないのかもしれません。時間が解決し得る領域かと。

それでも何とかしたいのなら直接お話しするという選択肢もあるわけですが、どう転ぶかはわかりません。

ここまでで良しとして、あなたはあなたとして堂々と生きていけば、気持ちはあとから付いて来るのではないでしょうか。

2025年4月15日 15:29
{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

質問者からのお礼

お二方、ありがとうございます。
【すてき】【醍醐味】
というワードに少しびっくりしました。
今まで生きてきてそのように考えたことが一度もなく、苦しみむこと悩むこともやっぱり生きているからこそなんだ、と思うと生きることがなんとも愛おしくなります。
それと、他者の気持ちまでコントロールできるわけではないということ。
わかっていたつもりでしたが、ここができていなかったかもしれません。
だからモヤモヤとしていたんだと気づきました。
私は何をしたかったのか、どうしたかったのかというところですよね。
だとしたら今のこの状況は自分にとっては概ね成功していると言えます。
ここで折り合いをつけなければいけませんね。

いつも、気づきをありがとうございます。
また苦しくなったら聞いてください。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ