好きな作品との向き合い方を教えてください
とあるゲームで、大好きなシリーズ作品があるのですがその作品が新作を発表したり活動をするととてもしんどくなることがあります。
15年以上好きな作品で、何時間も何周も繰り返しプレイするほど愛していたのですが自分が社会人になった頃からその作品の新作の作風が自分の好みから少しずつ外れるようになってきました。
それでも新作が出る度に購入し、ひととおりクリアをしました。
SNSもその作品をきっかけにたくさんの方と交流しているのですが作品が活動する度に見かける楽しそうな書きこみや、公式からの発表を見ると何故かしんどくなります。焦りや不安に近い気持ちになります。
たかがゲームのことですが自分が長い間好きだったものですので他のことをしているときも時々ふとつらくなります。苦しくなるときもあります。それでもその作品のことはこれからも応援していきたいです。
こういう時の気持ちの持ち方や受け止め方を教えてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
諸行無常という救い
すっごく分かります。私にとってのCoDです。14年前のCoDはヒーローが無双する戦争ゲームへのアンチテーゼでした。何の特殊能力も無い普通の一兵士が描かれました。
いつもウジウジして頼りない同期のエルダー二等兵。彼は徐々に頼もしくなり、ある時先陣を切って建物に突入します。その入口の陰に敵がいて、彼はそこで死にます。BGMもムービーもなく、淡々とストーリーは進みます。それがかえって背筋を凍りつかせました。
訓練から一緒だった彼は私にとって思い入れのある同期です。でも戦争全体の中では無人格の戦死者一名。現実の戦争も一人一人の人生や人間関係をお構い無しに押し潰していく…
そしてストーリーが進み、ソ連のミッションになると三人に一丁だけ小銃が配られ、私は武器を持たないまま敵陣に走らされました。
バタバタと死に、やっとの思いで生き残った時、目にします。数少ない機関銃を、味方の後に置き、味方の脱走兵を撃つのに使っているのを…他人を何だと思っているのか…狂っている…
モデルになった攻防戦でも凄まじい人海戦術が取られ、八十万人が人生を終えました。
当時のCoDには下手な戦争映画より力強いメッセージがありました。しかし、やがてプレイヤースキルを競うヒーロー物に変わりました。
プレイヤー層の変化もあり、私は四年前の作品を最後に決別しました。wiki等も含めて。キッパリと区切りをつけて先に進まないと、自分自身が辛くなるからです。
あなたが心の中で応援し続ける姿は美しいかもしれません。でもメーカーはこう思うでしょう。「じゃあ買えよ。」あるいはネットで「昔はこうだった」と書き込んだとします。最近のプレイヤーはこう思うでしょう。「黙れ老害。」お互いの気分を害すだけです。(この回答は質問者様への方便だから勘弁して下され)
ゲームに限らず、人生は変わりゆくものへの葛藤の連続です。お釈迦さまはそれを諸行無常と呼びました。お坊さんでも味わう普遍的な苦です。でも、拒絶しても変化は止まらないし、過去を引きずっても誰も得をしません。我々は今を生きることしか出来ないのです。
でもね、諸行無常だからこそ、私たちは変わることができる。変われるから、前に進むことが出来る。私はCoDを愛した私と決別しました。今はBFより連帯感があり、L4Dよりリアル系のゲームを求め、ゴーストリコンの新作を予約しています。
それが執着という苦しみです。
こんにちは、私もいろんなものにハマり、のめり込み、飽きて次へ渡る人生を送ってきました。
20年も続いている…というのは人間関係以外にはありません。(と思ったら、飼育は15年位でした)。「時折思い出して再びやってみる」というのはありますけれどね。
人間はリズムがあります、波があります。また、お気付きのように常に変化していくものです。彼氏彼女と別れる時も、喧嘩別れだけでなくフェードアウトしてくこともあるのです。
なぜフェードアウトしていくのか?おおかた、「相手が自分の好みから少しづつ外れていく」という感じです。SNSのの人間関係?ゲームが無くなったら人間関係もおしまい、というならば、単にゲーム会社に操られている、彼らの利益のための人間関係ということです。「…をキッカケに知り合い、友達になった」であれば、ゲーム関係なく付き合っていくのが友達でしょう。軍隊でさえ、「戦争が終わっても友達」は起こり得ますよ。
「苦しまずに続けてプレイしたい」訳ではないでしょう。惰性でやっているなら、むしろ製作者に悪いな、悪態つきながらやるのはゲームが可哀想だな。そんな風に思います。
流行を追いかけなくてもいい、昔のゲームのファンであり続けてもいい、と思いますよ。
思い入れのあるゲームというのはいつまでたっても変わらないものです。
私もドラクエやFFや女神転生など第一作目が一番思い入れがありますからね。
映画でも、ターミネーター、ダイハード、ランボーなどなど、やはり第一作目が一番印象深いです。
お経でも、最近は現代文で読むこともあるのですが、やはり漢文のリズムがいいというお坊さんや、あるいは、書き下し文の古典的な雰囲気がいいというお坊さんも居ますからね。
好みは人それぞれです。
昔の作品のファンはだんだん減ってきて交流も減るかもしれませんが、それでもきっとあなたと同じファンの人もいると思いますよ。
もちろん執着し過ぎるのはいけませんが、ファンであり続けるのはいいと思いますよ。
周りに合わせるために無理して流行を追いかけすぎないようにしましょうね。
質問者からのお礼
回答ありがとうございました。
執着という言葉にハッとしました。
どこかで区切りをつけないといけない頃なのかもしれません。
聖章さま
回答ありがとうございます。
昔の作品のファンであっても良いとおっしゃってくださって嬉しかったです。
下手に追いかけずに自分のペースで作品と向き合いたいと思います。
大慈さま
回答ありがとうございます。
同じく私が好きな作品も、未だに忘れることができないような魅力的で、安易に感動させようとしないよく練られたシナリオ、世界観を見せてくれたものでした。
過去のような作品にはおそらく戻りませんが、それなら自分が変わっていけばいいんですね。
私も新しい別の作品に目を向けてみようかと思います。