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お坊さんに宗派について聞きたいです

回答数回答 3
有り難し有り難し 39

以前も似たような質問したのですが回答が少なかったので、もう一度質問させてください。

私は仏教が好きなのですが、どの宗派が自分に合っているか決めかねています。
だからどの宗派を信仰しようかと悶々と悩んでいるのです。
そこでお坊さんに聞きたいのです。

所属する宗派のいいところはどこか?
どんなところに惹かれて信仰しておられるのか?

不躾な質問でごめんなさい。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

だれもが人間宗 生きていく派

うどんもチヂミもパスタもパンもなんも素材はみな小麦です。
美味しく作ることが共通する、大切なことです。
形やラベルが重要なのではありません。
ジャズもロックも演歌もクラシックもソウルもテクノもみんな音楽です。
音を楽しむことが共通することです。
形やラベルが重要なのではありません。
茶道にも色々な流派がありますが、お茶を飲むことにかわりはないです。
書道も色々な流派がありますが、字を書くことに変わりはありません。
仏教でも色々な宗派がありますが、何処に所属していても、息をして、ご飯を食べて、見て、聞いて、話して、体を動かして、いきていくことに変わりはありません。
悩みなく、苦しみ無く生きていくのが仏教です。
ここでの回答より、ご自身でお寺に足を運んで、肌で感じてみてください。(^<^)

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

日蓮宗ですが・・・

私は日蓮宗の僧侶です。
ご質問の意味は重々解るのですが…

このhasunohaサイトは、各宗派の方々が、宗派を主張しあうのではなく、唯々、僧侶でなければ答えられない疑問に、色んな角度からお答えをするところです。

宗派の主義主張をするに似付かわしい場ではありませんので、敢えてお答えは差し控えさせて頂きます。

申し訳ありません。

日蓮宗についてお知りになりたければ、日蓮宗のポータルサイトをご覧頂きたいと思います。
http://www.nichiren.or.jp/

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浄土宗、仏の慈悲

浄土宗では、いつでも、どこでも、誰でもできる口称念仏(くしょうねんぶつ)の修行がメインです。
南無阿弥陀仏と仏の名前をとなえて、極楽浄土への往生を願うだけ。
阿弥陀仏というのは、どんな悪人でも見捨てずに極楽浄土へ迎えてくれる仏です。
そのような物語が経典に載っているのです。
ただの物語だと言われればそれまで。本当に極楽に往生できるかは臨終になるまでわかりませんが、
難しい修行ができなくても救われるという仏様の慈悲に共感するだけでも良いと思います。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

煩悩スッキリコラムまとめ