存在を感じます
現在、某老人施設で働いています。
そこは、1年半前に新築した建て物で、先月中旬に開設しました。
私以外の同僚も霊感があるようで「ここには居ます。住んでます。」と言います。
物音や内線電話を鳴らしたり夜勤中、足音がしたりと様々です。
私の一番の心配は、施設内まだ満床になっておりません。
満床になった時に、霊魂が行き場所がなくなり利用者に影響するのではないのか?と心配しております。
どのようにしたほうが私たちも霊魂にも良い方法であるのか?
お知恵をお貸しくださると幸いです。
宜しく、お願い申し上げます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
その存在を恐怖ととらえるか、支えととらえるか。
こんにちは。北海道の真慧(しんえ)と申します。
お尋ねのことで、ひとつ聞かせて下さい。
その「存在」は、あなたや入所される方、スタッフの方にとってどんな存在ですか。
もちろん、正体不明ですから、気味が悪いととらえがちです。
ひょっとすると、悪いことを起こすかもしれない、不安を広げるかもしれないと。
しかし、正体不明なのですから、最初からそれらが「私にとって都合の悪いもの(無くなってほしいもの)」という前提に立って対処を悩むのは、賢明とは言えません。
私自身は、仏さまの教えのなかに、霊魂の存在を肯定も否定もしません。
同時に、私にとってそれが都合がよいか悪いかも、即座に断定はしません。
むしろ、少しでも心に一歩立ち止まることが出来るのなら、
その「存在」を私のいまを確かめる出来事、と前向きにとらえることが出来たら、どんなに素敵かとも考えています。
いわゆる霊魂といわれ、死は忌み嫌われがちです。
しかし、忌み嫌おうとも、目の前の現実から目をそらそうとも、すべてに訪れる死、老いてゆく身、蝕まれていく病を避けて通ることは出来ません。
もうひとつお尋ねします。
あなたや周りの方は、死をプラスと考えますか、マイナスと考えますか。或いはプラスマイナス0?
死はマイナス、喪失、敗北としたら、その「存在」は未練や無念、恨みと繋がって、結果的に恐怖を植え付けもするでしょう。
しかし、誰にでも訪れる死を、別の見方でとらえることが出来たとしたら、その「存在」も、そこから私が起こす行動も、「訳の分からないものは取り除くに限る」という考えとは別の、共に向き合い、共に悩み、共に支えとする存在と考えられる可能性も残されています。
もし、除霊してほしいとか、自分にとって意味不明な余計な出来事を除いて欲しいというご希望でしたら、私のご回答は十分なお答えにならなかったと思います。申し訳ございません。
真心込めてご供養なさってください
拝読させて頂きました。そのあまたの霊に手を合わせて心を込めて安らかにご成仏頂きます様にと願いご供養なさってください。
それ以上でもそれ以下でもありません。ご安心なさってくださいね。あなたのそのお気持ちは必ずや仏様やその霊の方々に伝わります。そしてご成仏なさってくださいます。
私達の身近にはたくさんの霊がいつもいらしゃるのです。私達が気がついていないだけです。
いつもどうかあまたの霊がご成仏なさってくださいます様にと祈り願うことが大切です。
ベッド数は気にする必要はありませんよ。
あなたも皆さんも心を込めてご供養なさって頂き、これから気持ちよくお健やかにお仕事なさってくださいね。
皆さんのご活躍を心よりご祈念申し上げます。
質問者からのお礼
一乗寺 真慧様お返事ありがとうございます。
正体不明の存在に関して我々スタッフは同居人という感覚でいますが、私個人的に、ご高齢で体力の弱っている利用者の方もいらっしゃいますのです。「死」に対しては、仏となってこの世で辛いことや苦痛のことから放たれる場所に行くことですのでプラスと考えております。
特に、正体不明な存在が悪いことをしている訳ではないので、除霊を望みません。
ただ、利用者の方々には同居人の存在はお知らせしておりません。
一向寺ご住職様 ご返信ありがとうございました。
自分たちが出来ることで、成仏して頂けるように手を合わせていくようにいたします。
この世もあの世も気持ちを込めて行うことが大切なんですね。
人に優しくさせると相手にも優しくできますから、それと同じことだと思いました。
ありがとうございました。