楽しいのに生きている意味がわからない
趣味で旅行をしたり映画を見たり好きなことをして、仕事も自分合っているし仕事仲間も仲良く良い人ばかりだし、親兄弟はあまり会わないけれど健康で仲も良い。
自分はとても幸せだと思っています。
それでも生きている意味がわからなくなることが多々あります。
こんなに楽しい仕事でも辛いことはあるけれど、仕事は生きるための術のひとつで辛かったら転職すればいいとも思っています。仕事が辛いと思うと、生きるための術なら別に生きようとしなければ必要ないのではないかと自分でも極端だと思うことを考えてしまいます。
昔から希死念慮のようなものがありましたが、年齢を重ねて落ち着くはずの歳になって酷くなっている気がします。
自分は幸せで楽しいと思っているのにイライラすることが多くなり毎日のように死にたくなるのは何故でしょうか。
なにか良い対処法があれば教えて欲しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
理想を掲げすぎず今に満足
人は生まれたら必ず死ぬ。しかし、それは寂しいことでもなく当たり前のことです。そのときがくれば死ぬ。
何のために生きているのかなんて分かりません。何のためでもなく、生かされている。そもそも自分だと"思っている"この体も果たして自分なのか。
そこにも疑問を持って欲しいとおもいます。あなたが幸せを感じていることは間違えのない事実。それで良いのに、そこで満足できないから他に何か求めている。こうでなければならない。こうであるべきという、無意識の理想を掲げそこに至っていないことに物足りなさを感じていらっしゃるのではないかとおもいました。
今のありのままで完璧。何不足ないということ。そこで安心できれば良いのです。理屈でなく心底満足できれば不安はないでしょう。
思い通りにならないのが人生。無常であること、だからこそ命が移り変わるそうした事実を明らかにする。明らめることが安心へとつながります。
「うつ」の可能性も
自殺者の9割は「うつ」等を患っているという専門家がいます。
希死年慮が何日も続く場合、脳・神経の体調不良の可能性があります。
つまり、物理的・肉体的な問題が原因で気分が滅入っている可能性があるのです。
なので、まずは医療機関に相談することをお勧めします。
その上で、仏教的な考え方を身につければ、「うつ」の予防に役立つと考えます。
たとえば、思考の堂々巡り(妄想雑念の繰り返し)で怒りや悲しみを増幅しないように、過去や未来についてあれこれ妄想しないようにする。
瞑想や念仏は、思考の堂々巡りをストップする効果があります。