婚家のお墓に入らないと、良くないのでしょうか。
自分の死後、婚家のお墓に入るのはある意味当然なことなのかとは思いますが、もし最大限のわがままがきいてもらえるのなら、入りたくないです。
ほかに迷惑をかけないのは大前提で、海にまくなり、木のもとに埋めるなり、本当の生家に入れてもらうなり、とにかく婚家のお墓は避けてもらいです。
なぜかというと、婚家のお寺さんは、お寺の入り口にたくさんの卒塔婆が無造作に捨てられているし、節目にお参りに行っても花も榊もないし、お寺の心配りを感じないどころか、何かにつけお布施をせがむのが受け入れられません。(提灯、座布団、椅子などを買ってくれと、いうらしいです)
地震の亡骸を、安らかな気持ちになれない場所に葬られたくないのが正直な気持ちです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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しっかりとご相談なさって
拝読させて頂きました。なるほど、その様なお寺様ではそもそもご供養なさる気持ちが本当にあるのかどうか疑うことはあるでしょうね。
それについてはご家族の皆さんでご相談なさっても良いかと思います。
絶対に一つのお寺様でなければならない訳ではありません。
お寺様の姿勢が良くない、合わないならば離檀なさることも間違いなくできます。
仮に離檀するとお寺様にご相談なさって法外なお金を要求されたならば法的な立場の行政書士さん等に間に入って頂くこともできます。その様な手続きが得意な行政書士さんもいます。「良いお坊さん悪いお坊さん」の著者である行政書士さんは私も友人の行政書士さんです。
まずはご家族の皆さんでしっかりとご相談なさってからお寺様にしっかりとご相談なさってくださいね。
大丈夫ですからね。
あなたが気持ち良くこれからもご先祖様をご供養なさっていただけます様にと心からお祈り申し上げます。
質問者からのお礼
有り難いご回答、感謝します。
私自身、祖父母と暮らしていたので「お寺さん」は日常の中の存在でしたし、敬い、大切に思って育ちました。実家のお寺のご住職は、お寺の内外の掃除はもちろん、檀家への心配りが感じられる存在でした。お盆の時など自宅に来て説法して下さり、ありがたい存在でした。
なので、義理家のお寺の特異な風貌やあしらいが、受け入れられずにいます。
今は義理父に行くお布施の無心も、近い将来わが家に向くでしょう。
婚家への納骨を拒否というのは、多方面に迷惑がかかるとか、罰当たりというような趣旨の批判が向けられるのは承知ですが、できれば最小限がに収めたいです。
時期を見て、家族に正直に相談してみます。
今回は、お時間を割いていただきありがとうございました。