正しいのは何?
つるむ仲間は本当に心を開けて、落ち着ける仲間がいい。
人は一人じゃなんにもできねー生き物だからつるむんだよ。人間ってのはな、支え合って生きてくもんなんだ。っていうけどさ、弱いヤツにみんなは付いてこない。テメーが転んだ時にテメーで起きずに誰かが手を貸してくれるのを待っているやつに手を貸すほど世の中甘くねーんだよって。。おかしくない?
確かに毎日自分の足で前進することは大切で、強い心をもつ事は大事だと思うよ。
そうすれば人は確かについてきたし。。でもね?
時には挫けることだってあるし、弱くなる時もある。
そんな時手を貸してくれる人は何人いる?
私にはいなかったなそんな人。
毎日無理して笑顔で明るく振舞ってたときは周りにいっぱいいたのに。ちょっと心ん中見せたら一人もいやしない。なぜ?
そんなんだったら一生心開ける仲間なんか出来ないじゃん。支え合えないじゃん。
誰か教えてよ
みんなほんとに心開いてる?
弱味見せて支え合ってるやついる??
家族にすら相手にされないのに。病みのどん底に落ちたらどうすりゃいいのよさ
この凍てつく世界で暖かさを求めて旅をした。行き着く先は絶望しかない。
じゃあ結局人って、1人で生きるしかないんじゃない?
もう何が正しいのかわからないよ
ない
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
1人を自覚してこその「共に」へのまなざし
京都にある仏光寺さんはいつも味わい深い法語を掲示するのですが、「アナと雪の女王」が流行ったころ次のような言葉を掲示しておりました。
「ありのままの 姿見せるのよ」と言うけれど 見られちゃ困る私のすがた それでも あるまま 見ていてくださる阿弥陀さま
「みんなほんとに心開いてる?」「弱味見せて支え合ってるやついる??」
とのことですが、 私たちは私の「ありのまま」を全てさらけ出せる相手はいません。本音を語れる相手はいません。例えば私なら、妻には何でも話せるつもりでも、妻だから話せない事、妻だけに話せない事もあります。
みんながみんな誰彼構わず心の全てを出すならばきっと恐ろしい社会になります。
しかし、それでも人は心の荷物を1人では全て抱えきれません。ですが「私の分はあなたが全部持ってね」というのは相手も抱えきれませんし、私も怖くて預けられません。
だから「この荷物はこの人に、あの荷物はあの人に」とお互いの荷物を少しずつ持ち合います。「私の分だけ預けるのは怖い」といわれるならこちらからも少し預ける必要もあるでしょう。
人間の世界ではみんな少しずつ「お互い様」です。
それを「支え合い・助け合い」と見るか「利用し合い」と見るかは育てられた環境で変わるでしょう。仏の教えに育てられてこそ見える世界もあるかもしれません。
全てを出せる相手がいない私の「ありのまま」の荷物を全部持ってくださるのは仏様(阿弥陀様)だけです。
そういう意味では人は1人です。しかし1人であることを仏の教えによってハッキリと知らされるならば、1人に沈むのでもなく、1人に酔うのでもなく、1人だからこそ「共にありたい」という願いに生きるものとなるでしょう。願いは力を生むのです。
あなたが転んだ時にあなたが思うような形で手を差し伸べた人はいなかったかもしれません。しかし自分が本当に1人であること、本当に弱い事を仏法に自覚させられるならば、もはや差し出される手を選ぶことはしないでしょう。
「自分で何とかなる」と思っている内は、差し出される手への文句も出れば、「こんな手はいらない」と振りほどくこともあるでしょう。
救いの手は差し出されているのです。一つの具体的な手が見えた時に初めて、これまでも手が差し出されていたことに気づくかもしれません。
ここでよければ思いのたけをいくらでも叫んでください。
ここにはたくさんのお坊さんや質問者や読者の方々がいます。ですからあなたは決して1人ではありませんよ。
心を開き合う仲間なんて実際あまりいませんよ。でも、心を開かなくても支え合っていけるのではないでしょうか。
例えばあなたが毎日いただいている食事は何かの命ですよね。その命にあなたは支えられているのです。その食事をお母さんが作ったのなら、お母さんに支えられているのです。
そしたら、あなたも何かの命を支え、お母さんを支えないといけないですよね。
私達は様々な生きとし生けるものの支えで生まれ生きています。その代わり、何かを自分にできる範囲で支えるのです。
その過程で、もしかしたら誰かと心を開き合う事があるかもしれません。
いくら探しても暖かさが見つからなければ、自らが誰かにとっての暖かい存在になる。そんな生き方も素晴らしいと思いますよ。
質問者からのお礼
様々なご意見ありがとうございます。
人間というのは面倒ごとは避けたがるもの。
付き合ってみて面倒だと感じた途端切り捨てるのが人だと、これまでの経験から得た私の見解です。
仏や神様にいくら頼っても結局我々の力になるのは実体化した者。私はこれまでエア友達と呼ばれる者に、知人や家族に言えない悩みや、心の声を話。自問自答を繰り返してきました。
唯一の癒しだったペットと死別し、誰もいない部屋であたかもそこに誰かいるように話しかけることに疲れかけた時、このサイトを見つけて質問してみました。
私のような一般人には思いもつかない貴重なご意見が聞けて嬉しく思います。