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女性の生き方について

回答数回答 3
有り難し有り難し 31

こんにちは。

もう少しで25歳、アラサーの仲間入りを果たそうとしています。そんな中、自分の人生において一番大事なものを決めかねているところです。

まず、私は只今転職をぼんやりと考え中です。理由として、今の仕事は人間関係は申し分なく、分野も私の学んできたことを活かせるのですが、毎日が平行線の様にずっと同じなのです。仕事を頑張っても具体的に役立っている、評価されているという実感は全くありません。また、お給料も他社の同期と比べるとやや低め、手当も手厚いとは言えません。このことが自分の能力の評価結果の様に思え、虚しく感じているためです。

この悩みを母に言うと、「女の人は出産・育児っていう大事な仕事があるじゃないか。今の仕事はほどほどに頑張り、結婚後はそちらに専念しては。」とのことでした。今まで勉強勉強と言われ続け、その期待に報いようと、必死に頑張ってきた私に対する母の答えがこれです。確かに、現在結婚を前向きに考えている相手がいるため、現実味の無い話ではないのですが、何だか一層虚しさが増しました。

ただ、母は出産後は育児に専念したかったものの、事情があり共働きをせざるを得なかったため、後悔を残しているという背景があります。それでで私も子供のころ随分さみしい思いをしましたが、自分に置き換えるとまだ納得しきれません。

勿論、家庭を望む女性が転勤や長時間残業を伴うキャリアも望むのが難しいのは理解しております。また、勉強を頑張っても、その結果望んだ大学に入っても、出産・育児に全く関わりがないと言いたいわけではありません。ただ、出産・育児を見据えて、現在を消化試合の様に過ごして良いのか、また自分の人生は、もう自分自身が評価されるのを許されないのか、と問いたいのです。

私は欲張りすぎるのでしょうか。もっともっと、自分の能力を使い切って人生を生きていきたいと思うのは傲慢でしょうか。大げさかもしれませんが、どこを目指していいのかわからず、少し無気力な気分です。皆様の観点で、ご教示の程お願いします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

傲慢じゃないです、それは発菩提心です

(※タイトルはアレですが、内容は決して出家のススメではありません。笑)

あなたの心は、行き先を知っています。

授かった命を輝かせる方法を知っています。

周りの価値観に振り回されているうちに忘れてしまっているだけです。

天から授かった命の価値や可能性。

それを思い出すために、人は生きているのかもしれません。

全ての望みがいっぺんに叶うことは、限りません。

だから、優先順位をつけることは、大切 です。

でも、優先順位をつけるということは、他の望みを諦めることにはなりません。

あなたの魂が本当に望む願いであれば、機縁が熟したときに、自然ですんなりと納得できる形でチャンスが巡ってきます。

大丈夫です。
自分も、25のときはあなたと同じように悩んでいました。

でも、人生をかけて好きなことして生きると決めてからは、どこで何をしていても、きちんと自分の命を最大限に活用しているという揺るぎない自信と安心があります。

まずは怖がらずに、自分の心に耳を傾けてみて下さい。

自分の心がときめく方へと、一歩踏み出してみて下さい。

打算や掛け値なしに、あるいはなんとなくずっと、あなたの好きなもの、大切なもの、気になるものは何ですか?

小さい頃から、ずっと挑戦してみたかったことはありませんか?

何をしているときの自分が、いちばん輝いていますか?

きちんと自分の心に向き合うことが、自分の能力を使い切って生きるための最短ルートですよ。

応援しています。

合掌

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有り難し
おきもち

ワークライフバランスが重要

まず、健康が第一ではないでしょうか。
だとしたら、ワークライフバランスはかなり重要です。
女性に限らず、家庭を持ち、子供も生まれたら、プライベートの時間も忙しくなります。
ですから、それに加えて仕事がハード過ぎると健康を害する恐れがあります。

自分の能力を試してみたいのはわかりますが、健康を害しない範囲で発揮できる能力が、あなたの100パーセント。
それを超える力は、出せるかもしれませんが、反則というか、人間、100パーセント超えをずっとは無理です。
どうしなさいとは、私は言えませんが、健康第一でお願いします。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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道は自分で開拓していくもの

今生きている道は誰かが切り開いてくれた道です。
誰かが切り開いてくれた道だからこそ退屈になるのでしょう。
誰かが切り開いてくれた場所に居座ることは楽なように見えて
自分の思うような理想とは程遠く、ストレスを抱えてしまいます。

子育てに集中することも大切だとは思いますが
子供がやがて大きくなり
「これなぁに??」という質問から
「これはどうしたらいいのかな?」と
質問の質が変わります。

その時に
「私は経験したことがないから知らないし、分からない」
それだけでは終わって欲しくありません。

「私は分からないけど、詳しい人を知っているから聞いてみるね。」
そんな仲間がいると子供の道も、ぐっと広がるでしょう。
そんな仲間をつくるには歩をやめないことです。

未来の子供たちを幸せにしたいのであれば
必ず自分が輝いている必要があります。
消化試合にするのか
それとも先に繋げるための準備期間にするかは意識次第です。

やって無駄なことはありません。
小さなことでも新たにチャレンジしてみてください。

きっと楽しい毎日が待っています☆

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有り難し
おきもち

和歌山県在住で、近畿を中心に僧侶・NPO法人代表・デフバスケットボール男子...
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質問者からのお礼

>願誉浄史 様
ありがとうございます。そうですね、健康は一番大事だとは思っております。
以前バイトを掛け持ちしすぎて体を壊したことがありますので...。
ただ、今の私は「まだ何かできるんじゃないかな」とふと考えてしまうような日常なのです。
とりあえず、転職活動に取り組んでみて、無理を感じたらまた別の道を見出そうと思います。

>上田様
ありがとうございます。
大学はもちろん親の手助けもありましたが、自分で決め、自分で勉強したと自覚しております。
そのためか授業もほとんど出席して頑張り、後悔はありません。
仰る「誰かが切り開いて」の意図に拠りますが、
それが「自分の意志とは無関係に」ということでしたら、そういうことは無いです。
ただ、「親の加護」という意味でしたら間違いなくあるのですが。

とりあえず、転職に挑戦し、また新たな経験を積もうと思います。

>妙香様
ありがとうございます。ご回答、とてもしっくりきます。
小さなころからやりたかったことは、現実主義の母に幾度となく反対され、
もはやよくわかりません。もちろん、愛情故ということは理解しております。

少なくとも、私は語学を学んできて、今もそれに携わっておりますので、
またそれを活かしてより頑張れる環境を求めてみようと思います。
それだけでも、何もしないよりは、変われるように感じております。

皆様、大変ありがとうございました。

「今を生きる・自分の生き方」問答一覧

『今』を生きる事に集中したい

幼い頃から負の情報にとても影響を受けやすいです。 家族間や学校、職場での出来事はもちろん、特にメディアでの情報やニュースにはとても敏感です。 東日本大地震で被災してからは更に過敏になったように思います。 戦争や災害、陰謀論、気候変動、ワクチン、政治問題など。 こればかりは自分の影響力の範囲外の事ですし、先のことは誰にも分からないので悩んでもしかたない事だと理解はしているのですが怖くて苦しくて潰れそうになります。 そういった情報が目に入らないように使用機器の設定をしたり、テレビをつけずに過ごしたりと対策はしているのですが、たまたま目に入ってしまった時に呼吸が苦しくなってしまうのです。 恥ずかしい話ですが、北朝鮮のミサイル発射の速報を見て小学校や中学校だけでなく仕事を休んでしまったり、公共交通機関に乗れなくなったこともありました。 共感疲労というのでしょうか。 いつか家族が、愛する息子が、自分が、と次々に想像してしまい止められません。 そして実際に家族を失ったような喪失感に襲われます。 夢に出てくることもあり、正直それが一番辛いです。 残虐な殺され方を目の当たりにして現実で起きたような衝撃と感情で目が覚め、気持ちがリセット出来なくなります。 毎日何かに怯え、家事育児中もずっと頭の中が不安しかないのです。 常々『死』を連想してしまいます。 立て続けに身内を3人、急性の癌で亡くしているのでそれも関係しているのかもしれませんが。 こんな世の中に息子を産んでしまった事を後悔してしまいます。 この世は生きるに値しない気がします。 でも生きていくしかありません。 どうしたら今を生きられるようになるでしょうか。 まとまりの無い文章で申し訳ありません。 ご返答いただけると幸いです。

有り難し有り難し 10
回答数回答 2

専業主婦に憧れます

こんにちは。 以前新婚時に相談したものです。 新婚時は夫どの関係に自信が持てず悩んでいましたが、昨年第一子を出産してからは全く気にならなくなり、それどころか家族との日々を過ごせることをとても幸せに感じています。 今回ご相談したいことは、私の仕事のことです。 私は公務員で役所勤務しています。育休や子育て支援制度も充実しており、今は週3日勤務で子供を保育園に預けながら働いています。 平日休みの日は子供は保育園に行くので、私の時間ももらえ、とても恵まれているのはわかっているのですが、子供が熱を出したときなど急な休みをもらわないといけないときなど、仕事をやめてしまいたくなります。 急に仕事に穴を開ける罪悪感、子育てがあるため仕事に全力を注ぐことができない罪悪感、仕事のことを気にしながら子どもと向き合っているもどかしさ… 私は両立が苦手のようです。 どちらにも100%の力を注げないもどかしさもありますが、何より子供を育て、家族のことを一番に考えながら平和な家で家事育児をして過ごす日々が幸せすぎます。 なので、いっそ仕事をやめてしまって家事育児に専念し、余った時間で今流行りの在宅でできるお小遣い稼ぎでもしたらいいんじゃないかとか思ってしまいます。 でも、やっぱり今の仕事は本当に恵まれているのも承知しており、そこまで高給取りではありませんが、長い目で見れば金銭的にも大きな差が出てきて、将来の子供の学費などの資金にも影響が出てくると思います。夫はやめるのは私の保障がなくなる意味でもったいないといいますし、私の親は辞めたとしても、専業主婦になっても辛いこと嫌なことはあるから変わらないといいます。 今の私はどのように気持ちの整理をつければいいでしょうか。

有り難し有り難し 22
回答数回答 1

敢えてバランスを崩す

人生において、何事もバランスを取ることが大切だと良く聞きます。しかし何事も二面性(バランスを取ることによる弊害)がある中で、なぜその重要性が真理のような言い方をされるのでしょうか。 例えば、食生活のバランスを意図的に崩してみること(ときに、野菜のみ/肉のみ/炭水化物のみ、暴食/絶食、新鮮な食材/悪くなりかけの食材、普段食べない料理にチャレンジ等)は、自身の体の変化への対応力を身につけるためには有用である(むしろ健康を増進する)との考え方もあるでしょう。 また、常にバランスの取れた食事よりも、その時々で食べ物の美味しさ、有り難みに気づけるのもメリットでしょう。 意図的にバランスを崩すことは、仕事や学業や趣味、恋愛など様々なことにも有用と考えております。 何事もバランスが重要との言葉、信じて良いのでしょうか。(上記の例でいくと、長い目で見ると食生活のバランスが取れているとの見方も可能だと思いますが) 仏教ではどのような考え方をされるでしょうか。バランスは時間の経過とともに自然と取られるとの見方や、そもそもバランスを取るなど幻想、私の問い自体がナンセンスとの考え方もあるかと思います。是非お知恵を拝借させてください。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

今を生きる=悩む暇がないこと?

以前より、死の恐怖についてご相談させていただいております。いつもありがとうございます。 今年から仕事をはじめ、毎日必死に慣れない仕事をこなしています。以前と違って少なくなった休日は、友人との交友や趣味を詰め込んでいます。 そのような生活をしばらく続けていましたら、以前悩んでいた「死の恐怖」について悩む物理的な時間が殆どなくなっている事に気が付きました。 しかし、死の恐怖がなくなった訳ではなく、今でも偶に恐怖で叫び出してしまう事はありますし、将来のこと(今後のキャリアやライフプラン)について考える時にも、「死ぬ時、恐怖に震えながら死ぬのだろう」ととても悲しく、またとても恐ろしくなります。 これは、「今を生きている」のでしょうか?確かに、目の前のことに必死で、死について考える時間がないので精神は健全です。以前より充実していると思います。 ですが、人生の本質のようなものを蔑ろにしている気もします。今の生活はなんとなく、さまざまな問題から逃げている現実逃避のように感じます。人生は死からの逃避、という言葉をどこかでみました。私の人生は今、逃避なのでしょうか。 そこで、「今を生きること」と「現実逃避」の違い、「今を生きること」と「何かに夢中になり、悩む余裕がない」ことの違いが知りたいです。 また私の今の様な生活は、仏教やお坊さんのお考えからはどのように思われますか? 死に怯えるだけだった過去から、今の生活になったことは進歩でしょうか?これは、私の望む「死は悪くない、怖くないと安心して死ぬこと」に近付いていますでしょうか? お忙しいところ恐れ入りますが、知恵をお貸しいただけますと幸いです。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 3
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社会不適合者の生き方

今自身の存在意義について悩んでいます。 背景を記載致します。私はASDという発達障害を患っていることを社会人になって初めてしました。これは先天的なものであり、不治です。 学生時代から社会不適合や問題児として扱われてました。しかし、それも一つの味だといじられキャラとして何とか楽しく過ごせて来ました。また、人なりになれない部分ばかりですが、一部は無茶して何とかして来ました。 しかし、社会人になるとそうはいきません。普通の人が出来ることにやはり数倍苦労します。ミスばかりで他人に迷惑をかけます。無茶をすると逆に会社として困る存在になります。 学生時代からぼんやり思っており、発達障害とわかってはっきりしましたが、このような発達障害で何の取り柄もなく、人の数倍労力をかけないと人並みにすらなれない人間に何の意味があるのだろうと自己嫌悪に堕ちる日々です。 この先は生きていても誰の役にも立てず迷惑ばかりかける存在になると思っています。だからこそ、命を粗末にすることは悪いことと思いつつ、早死にしたいという気持ちがあります。苦しむために生まれて来たとさえ思います。 その反面、健常者と同じように生きたいという欲深い気持ちもあります。 難しい質問ではありますが、どんな心持ちで生きれば、この苦しい罰のような人生を乗り越えられるでしょうか?どうやって自身の存在を受け入れればいいでしょうか? 長年の悩みです。アドバイスをいただければ幸いです。

有り難し有り難し 11
回答数回答 1

自分の生き方

私は昔からわがままで性格が悪く自己中で欲の強い人間でした。 幼稚園の時女の子の友達に対していじめをしていたり、親の気を引くためにわざと親に対して嫌な事をしたり、歩くのに疲れたらお腹が痛いなど言い訳をして親におんぶをしてもらっていました。 小学生の時は、親の気を引くためにいじめられていると嘘をついたり、兄や母の部屋に入って物を取ったりしていました。 小1の時、友達と遊んでいたのですがその時に友達が子犬も連れていて私がその子犬を抱っこしてフェンスに登って遊んでいたのですが、あまり覚えていませんがその子犬を下に落としてしまってその子犬が亡くなってしまいました。もしかしたら自分が登っていて危なくなったので犬を下に落としたのかもしれません。 中学生になり人間関係がうまくいかずいじめを受けたりして、強迫神経症になりクラスに行けなくなり高校生の時学校を転校しました。また、幻聴も酷くなり、薬も効きません。 転校したのも正直自分が楽をしたかったからです。 転校した先の学校は通信制でお金がかかり親に迷惑をかけました。 親は片親で父親が亡くなり1人で育ててくれましたが、親の気持ちなど微塵も考えず自分が楽したいからと逃げていました。 社会人になって仕事が続かず、また職場で悪口のターゲットになりやすく、転々としていました。20代前半で6回も転職しています。どの職場でも悪口のターゲットになります。また、幻聴が聞こえてくるので何が何だか分からなくなり、被害妄想が強くなり周りが悪口を言っているからと言ってもしかしたら言っていないかもしれないのに周りのせいにしていました。 このままでは良くないと国家資格も勉強して取りましたが、せっかく就職しても悪口を言われるから、働いている時間が長く感じるからという理由で辞めてしまいました。働くのが嫌だという理由で結婚相手を探し始め、60万も借金があるのにそれを結局彼氏に支払ってもらい結婚もしましたが、旦那に対して別の人が良かったかも、もっと自分の人生を生きれば良かったなど最低な考えを持ってしまいます。どこまでクズなんだろうと思いますが、自覚がなかったようで最近自分が最低な人間だという事に気づきました。現在、妊娠しています。わがままな子供が妊娠しているような感じです。自分の行動を戒め今まで迷惑をかけてきた人達に対して償うにはどう生きればいいでしょうか?

有り難し有り難し 19
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ