父の供養と自分の社会生活のバランス
お世話になっております。
すみれと申します。
つい先日、父が亡くなりました。
8日前から母に、「もう長くないから、今のうちに顔をみせてあげてほしい」と乞われ、父のいる地元に帰っていました。
結局、4日前に逝き、お葬式を済ませました。
しかしながら、繁忙期なせいなのか、田舎の冠婚葬祭が大がかりなせいなのか、職場への迷惑と、父をしっかりしのび、供養したい気持ちとの折り合いが上手くつきませんでした。
上司からは8日も休んだことを咎められましたし、私自身、父と最後に握手したときも、葬儀の際も、本当ならその日までにこなさなければならない仕事のことで頭がいっぱいでした。
今は後悔しています。
でも、どうしたらよかったのか、今もわかりません。
何を選べば自分が後悔しなかったのかもわかりません。
正直、「何でこんな時期に死んだの」とまで思います。
悼みたい気持ちは勿論あります。
でも、今後自分が食べていく手段も大事です。
『亡くなった(もうすぐ亡くなる)人への供養で、一番重要視しなくてはならないことはなんでしょうか。』
まだ考えたくはありませんが、今後大切な人が亡くなったときは、それだけは絶対外さないようにして、後悔しない行動をしたいのです。
少なくとも、じわじわ仕事しなきゃと追い詰められて、目の前のもうすぐ会えなくなる人のことだけをみられないことになってしまうのは嫌です。
長文乱文、申し訳ありません。
質問としては、『』で囲った部分です。
お忙しいところ、申し訳ありませんでした。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お辛かったですね、お疲れ様
すみれさんお疲れ様でした、お父様のことはご愁傷様です、そして仕事との板挟みでありお辛かったですね。先ずはお父様のご冥福を祈らせていただきます。ご質問の「亡くなった(もうすぐ亡くなる)人への供養で、一番重要視しなくてはならないことはなんでしょうか」についてですが、私は遺族の皆様に話させていただいております事があります。それは「亡くなられた方の人生を、命を皆さんがそれぞれに皆さんなりに受け継いで欲しいです、そして皆さんが幸せになって欲しいです。それが亡くなられた方が何より望んでいることです」とお話しさせていただいてます。あなたが自分の事として死を迎えた時に何を望みますか?もう生きられません、やりたい事はたくさんあっても死を受け入れるしかないです、その時に何を思いますか?自分の人生がやってきたことが全て消え去ったらあなたはどう思いますか?自分が生きたことを残したいと思いませんか?自分を忘れないでとは願いませんか?
その時に家族が友達があなたとの思い出を確かにずっと心に刻んであなたのことを忘れないからね、あなたの幸せをこれからも祈り続けるからねと約束してくれたら嬉しくないですか?お葬式に大切なのはその想いだと思うのです。私はあなたのお父さんはあなたの仕事の事(生活のこと)も心配していてくれたはずです、だってあなたに幸せになって欲しいのですから。だから仕事と板挟みになっていたあなたの想いも申し訳ないと思っていてくれたはずです。そしてそれでも駆けつけ見送ってくれた、自分の人生を思い出と共に受け継いでくれたあなたに感謝して旅立たれたはずです。ですからあなたは悩む必要はありません、自分を褒めて労ってあげてください。お父さんは今もこれからもあなたを仏さまと一緒に見守っていてくれています。
質問者からのお礼
憲章さま
ご回答、本当にありがとうございました。
父に言ってもらったようで、なんとお返事
すれば思いをお伝えできるのかわからず、
遅くなってしまって、失礼いたしました。
本当に、父に「気にするな。受け継いでもらえ
て、期待どおりだった。満足だ。」と言ってもらえたようでした。
放任主義な父に甘えて、所謂「よい娘」
「孝行娘」ではなかったのだと、自分で
感じていました。
その自分勝手な後悔でいっぱいでした。
受け継ぐ、ということに関してはバッチリです笑
「孝行娘」だった自信はなくとも、父の信条だった、「故郷を振り返らず、自立して、世に
貢献して生きていけ」を実践している自信はあります!笑
仕事に、人生に、誇りを持てるよう育ててくれた父に感謝して、これからも生きていこうと思います。
本当に、ありがとうございました。