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お願い事

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亡くなった夫や両親やご先祖様に願い事をしてはいけないのでしょうか?
私は昔から仕事を頑張ったり宝くじに当たったりしたわけでもないのにいいタイミングでお金に恵まれる事が多々あり、その事をある人からあなたのご先祖様があなたがお金に困らないようにそういう環境にあなたを入れてくれている、といわれたことがありました。それからコロナに罹って後遺症で治療法もなく寝込んでいた時も亡くなった母が私の寝室のドアの隙間から覗いているような気配を感じ、その時までは忘れていたのですが、子供の頃母が連れていってくれた漢方医のことを思いだし、何十年かぶりに行き、薬を処方してもらったら嘘のように回復しました。
それから私は困った時、辛いときに毎日、仏壇に願いを叶えてほしいとお願いしてしまいます。
それはいけないことなのでしょうか?

2024年3月13日 0:56

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

私の願いと仏様・亡き方の願いは同じ?違う?

ご相談拝読しました。

困ったときの神頼みではないですが、人間というものはどうしようもない時に、何か大いなる力を期待したり、目に見えないものにすがったりということをするものなのでしょう。

そう祈らせてくれる、願わせてくれる場所があることは有り難いことです。だからお願い事をすることがいけないということはありません。

しかし、「いけないということではない」と「叶えてくれる」は別です。

仏教的には亡き方が私たちの個人的な願い事を叶えてくれるということはありません。仏様もそうです。なぜならばそれはこちらの一方的な願いであって、仏様や仏様となった亡き方の願いではないからです。

もちろん、亡き方はあなたの幸せを願っていることでしょう。でもそれはあなたの都合や欲望を叶えることでそうしようというのではありません。

人間は誰もが都合や欲望に振り回されて苦しんでいます。そうしたものを超えて、より大きく深い幸せに目覚めて欲しいというのが仏様の願いです。

あなたにお金があってもなくても、健やかなときも病めるときも、いつでもあなたがあなたであることに満足してほしいというのが仏様の願いです。

ああなって欲しい、こうなって欲しいは私たちの都合や欲望。でもそれがないとより大きな幸せにも気づけないかもしれません。

だからこちらからのお願い事をいくらしてもいいですが、そこを入り口として、亡き方や仏様は私に何を願っているのだろうな?と視点が切り替わることが大切なのだろうと思います。

2024年3月13日 5:35
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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
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質問者からのお礼

ありがとうございます。
そうですね。自分の願いと仏様の願っていることが同じなのかはわかりませんね。ご指摘のとおりこの世で生きるのはともすれば私利私欲にまみれた願いにもなりかねないです。
仏様の望むことはもっと厳しい事なのかもしれません。
けれど、今は家族の幸せを願っている仏様に私が精一杯生きられるよう「力をかしてくれる」存在として毎日手を合わせます。

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