何か私に伝えたいのことがあるのでしょうか
こんにちは。
いつもお世話になっております。
昨日のことなのですが、自宅でパソコンと共に作業中、ふと一瞬ですが、線香の匂いを感じました。思わず、「線香のにおい?」と言ってしまうほどでした。本当に一瞬だったので、気のせいだと思い、何度か周辺をくんくんと臭ってみましたが何も臭いませんでした。1人暮しで仏壇もなく、線香を焚いたことさえもないので、驚きましたが、何か伝えたいことでもあるのかと自問自答しました。県外に住んでいるのでお墓参りに行けていないのもありますが、昨年のこの時期、鍋に入っている水が沸いてパスタを入れようとした瞬間、自分に向かってひっくり返り、右下ふともも全体を大火傷してしまったのもあって、また何かあるんじゃないかと不安で怖くなりました。今まで大怪我なんてしたこともなく、こんな大事になるとは思っていませんでした。
両親に伝えると、ご先祖さまがこれで済むようにしてくれたから、これでよかったと思いなさいと言われました。それは本当にその通りだと思います。でも、火傷で済むようにしてくれたってことは、もしかしたら事故で生死をさまようことになっていたのではないか、死んでいたのかなとどんどん怖くなってしまいました。今回は火傷で済んだけど、また今後、命に関わるようなことが起きるかもしれない、そんな不安でいっぱいです。それが何か分かればいいのですが、分からないからこそ怖いです。1年たった今でも残る火傷跡を見る度に思い出します。
火傷はなんの身代わりになってくれたのかな、、、と毎回思ってしまいます。
怖いです。よく私自身、気で体調がおかしくなることはありますが、見える方ではないので、伝えたいメッセージは何なのか分かりません。ご先祖さまのメッセージ、どうしたら分かりますか、ご先祖さまは私の未来が見えているのでしょうか。亡くなった母方の祖母、父方の祖父母、そしてその他のご先祖さまは何を伝えようとしているのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
分かりません。思いつくことをするのみです。
他のお坊さん方は違ったお返事を下さるかも知れませんが…
去年の火傷と今年の「お線香の匂い」。本当に匂いがしたのか、本当に「それで済んだだけ」なのか、私には分かりません。
ただ、あなたが「お参りに行けていないなぁ」と思い当たるのであれば、時間を作ってでも行くべきと考えます。
「それで済んだのは、守って下さったのよ」というのは時々聞くお話です。がよくよく考えてみれば、どんな毎日だって交通事故に遭うかも知れず、また思いがけず素晴らしい出会いがあるかも知れず、つまり「予測のないままで生きている」のが私達です。火傷について考えるなら、「どうして今回は鍋がひっくり返ったのかな」をしっかり調べるべきでしょう。その時と同じ状況をみすみす作ってしまってはダメですから、何か普段とは異なる状況があったはずです。
そして、「今度はもっと酷いことが起きるかも知れない」と不安になると。それが何かは、私自身の身についてだって、残念ながら分かりません。だからせめて「安全運転を心掛ける」とか「火の元はしっかり見ながら点火する」「包丁を洗うのは一番に」とか、自分でできる範囲を精一杯務めるまでです。でもそれが「充分なのかは分からない」のが不安になるのですよね。
ある意味、その不安への備えとして「ご先祖様はご覧になっているよ」があるのではないかと思うほどです。そして、言いますでしょ、「その人に乗り越えられない試練は与えない」とかも。これだって「イヤ私には無理!ダメ!絶対!」とかブツブツ言っている閑があったら取り組みなさいよ、という効果のある言葉だと思うのです。
そう、大切なのは「人事を尽くす」こと。自分のできること、気づく事はやってしまう。「神が人を作った。だから神様何とかして」という人間無力な教えではないのです、仏教は。「メッセージが聞けなかったら酷い目に遭った」というのは、自分を棚上げにする可能性がありますから「自分は自分のできる範囲を頑張っています」ありきで「ご先祖様、これでいいですか?頑張ってるって言って下さいますか?」程度にするのが宜しいと思います。
質問者からのお礼
お返事、ありがとうございます。
やはり予測がつかないこそ、人生ですよね。
たまにどれだけ頑張ったらいいのかと上手くいかない日々が続くと思ってしまいます。でもご先祖さまが見守ってくれていることだし、誰かは見てくれている、そう思うと少し気持ちが楽になります。亡くなったおばあちゃんもおじいちゃんも、もう会えないし、目に見えない、だけど見てくれていると思うだけで、不安が少し和らぎます。
不安になっても、ご先祖さまが見守ってくれていると思って、自分ができることをしっかりやっていきます。
素敵なお言葉、ありがとうございました。