仏様の供養について
いつもお世話になり、ありがとうございます。
時々、思うのですが…仏様の供養を忘れた場合
あの世で仏様はどのような感じになるのでしょうか?
友達がお父さんの7回忌を忘れてしまってたと言っていました。
でも仏壇には供養できなくてごめんねと言ってお参りしてると言ってさほど気にはしていないようでした。
私は小さい時から仏様の事などは母がよくしてたので、友達のお父さんがあの世でどのような状態なのか心配になりました。
友達の義息子はお坊様なので普通の人よりも法要の事は気になりそうですが…相談もしていないようです。
私的には仏様はお経をきいたりお線香を焚いてもらったりで進んで行かれるものだと思ってたので
仏様は法要とかしてもらわなくてもあの世では
上に登っていかれるものなのでしょうか?
質問の内容が拙い文章ですみません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏縁を深くしていくことも、亡き人が安心なさること。
法要やお参りは、亡き人のためだけではなく、私たちが仏縁をいただくことが大事なのです。
わが身を振り返り、生き方を見つめ直したり、いのちの行方を考えていく。そして、仏様の御心を聞いていく、仏法に触れることが大事なのです。
いろんな事情があり、法事や日々のお参りを忘れてしまうということもあるでしょうが、忘れていたと気づけた時に丁寧に手を合わせていくことを大切にしていけたらいいですね。
供養の形も様々ですし、法事だけを重要視するよりも、日々のお参りを大切に。また、お寺との関係も良好に、何でも相談したり、お寺へのお参りを重ねながら、仏縁を深くしていくことも、亡き人が安心なさることですよ。
追善供養
「供養」とは、おもてなしやサービスをすることです。
食べ物やお香をお供えするのもおもてなしですね。
そして、仏教独特の供養の一つに、追善供養があります。
追善とは、追い風的な善行為、善行の援護射撃です。
良い行いをすればするほど幸せや悟りに近づけるというのが基本にあり、亡くなった人の幸せや悟り(成仏)を願って、遺族等が、亡くなった人の代わりに善行をするのが、追善供養です。
お坊さんや親戚を招いてお布施(金品や食べ物をふるまう)のも善行の一種だし、仏様に礼拝したりお経や念仏を唱えるなども悟りに近付く善行です。
それを、亡き人の分まで遺族等が行うわけです。
また、年回法要(法事)で親戚が集まってイベントや会食を行うのは、単純に楽しいこと。
少子化で、親戚の結婚式は減ってるので、葬儀か法事でしか集まる機会がない場合もある。
親戚付き合いが希薄になりがちな昨今だからこそ、法事の機会にワイワイと会食するのは、楽しいイベントです。
私は、おもてなしや追善供養、親戚のイベントなんかは、やればプラスだが、やらなくてもマイナス(祟りとか)はないと明るく考えます。
何回忌何周年にこだわらず、線香一本のおもてなしもプラス、コンビニの募金箱に小銭を入れる布施も亡き人への追善供養と思えばプラス。
マイナスはありませんので、安心して、また機会があればお菓子の1個でも仏壇に供えてから、おいしくいただきましょう。
質問者からのお礼
中田三重様、願誉浄史様お忙しい中、回答いただきありがとうございました。
とてもわかりやすくて理解できました。
何回忌とかにこだわらず、しなければいけないとかではなく日頃からご先祖様を近くに感じるようにしたいと思いました。
ありがとうございました。