真言と印
おつとめの時に十三仏の真言を唱えています。その時に印を結んでいます。
また、光明真言を唱える時は、金剛合掌をしています。勝手に習ってもいないのに印をむすんだりしてもよいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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三密加持
fuhouitu様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
印(印契・印相)は、悟りの境地を手で組みてカタチで表わす大切なものとなります。
お勤めなさられるだけでしたら、真言を唱えられることも、印を結ばれることも問題はないかとは存じます。
ただ、お勤めに留まらずに、三密加持(密教)の修行をなされたいとなりましたら、印と共に真言と三摩地(三昧)の実践も欠かせないものとなります。
弘法大師は、即身成仏義において、「三密加持すれば速疾に顕るとは、謂はく、三密とは一つには身密、二つには語密、三つには心密なり。法佛の三密は甚深微細にして等覚十地も見聞すること能はず、故に密といふ。一一の尊等しく刹塵の三密を具して互相に加入し、彼此摂持せり。衆生の三密もまたかくの如し。故に三密加持と名づく。若し真言行人有ってこの義を観察して、手に印契を作し、口に真言を誦し、心、三摩地に住すれば、三密相応して加持するが故に、早く大悉地を得。」と述べられています。
三密加持は、身密と語密と心密を、それぞれの内容をしっかりと理解した上において、同事正確に行うことが求められるため、できれば、灌頂と共に正式な師の指導の下にて行うことが必要になるものであるかと存じます。
特に見よう見まねでできるものではない「心密」の内容においては、密教を学ぶための前提条件としての灌頂を受けることと共に、師より教えを受けられる器であると認められてからでなければ、教えが受けられない内容も含まれているものもございます。(特に、空性の正しい理解、正しい観想方法など)
もしも、お勤めだけに留まられずに、これから三密加持(密教)の修行を正式に進めていかれたいのでしたら、やはり、灌頂と共に、師による指導を受けられますことをお勧め申し上げます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
経を読み唱え、自分の時間を寺の境内でもつことは、なくてはならないものになっています。周りに理解してもらってはいませんが、おつとめは、続けたいと思っています。まだ師匠と呼べる方は、見つけていませんが。いつかは、修行を行いたいと思います。
ありがとうございました。