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脳が苦しいのと、胃が苦しいの…。
脳みそは「考える臓器」です。たくさんある臓器の1つでしかありません。それは私自身ではありません。
思考は堂々巡りします。思考は、無いものを求めたり、今あるものから逃げるのが癖です。求めても得られませんし、逃げても逃げきれません。脳の仕組みと、脳と私との関係性を知りましょう。
脳みそがオーバーヒートしたんだと思います。胃を休めるために食べるのを控えるように、考えるのを休みましょう。大丈夫です。苦しんでるのは私自身ではありません。安心して、しっかり休みましょう。
HANA様
こんにちは。拝見させていただきました。
夜も寝られないとは本当につらいですね。具体的な事は文面からはわかりませんが、「後悔」という事で考えてみたいと思います。まず、後悔する事は自然な事です。後悔することそのものを否定しないようにいたしましょう。それは人間に備わった「過去の間違いに学び今後に適応していく」という能力です。
とは言え今苦しいのは確かに事実ですから、出来そうな事を考えてみましょう。まずは掃除です。断捨離。自分の身の回りのものを整理することは気持ちを整理するよりも簡単にできる上に効果が期待できます。
後悔する心に寄り添うこと。後悔が起こってきたら「後悔してもいいよ」と声に出す。思いにくければ今はいいよと「今は」とつけてください。そしてどのあたりに後悔しているのかを聞いていきます。批評はなしです。その時自分がかけてほしかった言葉を声に出して自分に聞かせてあげる。どうしても難しければカウンセラーに頼む手段もあります。
書くこと。ただ「つらい」でも良いのですが、書くことになれれば出来たら具体的にどの部分に後悔しているのかを書いていくこと。どんな気持ちなのか。自分の心になぜ・・とインタビューしていきます。自分の心を知るためです。
鏡に映る自分をほめる。つらかったねぇ頑張ってるねぇよくやったねぇと「思ってなくても」声にだしてかけること。
ここからは更に先の話です。過去に償わせようとしている気持ちが何なのかですね。殺したい程の憎しみなのか、自分は出来るという思い込みなのか。これだけ頑張ったのにという受け入れてもらえなかった気持ちなのか。言えることは「その過去であなたは最善の事をした」という事です。後悔する部分もあると思いますが、仮に別の選択をすればもっとひどくなっていたかもしれない。大切なものを失っていたかもしれない。世の中で楽に生きている人は正解を選択した人ではありません。選択したもの(あるいは与えられた御縁として)自分なりの正解にしていっている人です。
「ないものねだりからあるもの探しへ」根源は今現在の不満なのです。今の不満がなければ、後悔の過去は経験の過去に変わります「あの失敗のおかげで今こうして生きていられるのだ」と。心に余裕が出来たら当たり前の事を感じてみてください。見落としていたたくさんいただいているものが見つかると思います。合掌
苦しみの地平の先
HANAさん
お仕事のことなど具体的な問題がいろいろあったのでしょうが,「いま」あなたが体験しているのは「存在することの苦悩」なのでしょう。
きっかけは具体的なことであったかもしれませんが、それを機縁としてHANAさんは人が生きるということの真実に直面するところにやってきたということです。
そこは絶望しかない闇夜のような場所で何の救いもみいだせないし、身を横たえているだけでも苦しいし何もする気にもなれないでしょう。
それがこの世の真実で一切は苦であるということです。こういうときに理屈はあまり役にたたないです。
いまのHANAさんに何が必要か考えてみました。
海や草原の景色でしょうか・・・。
身を横たえるときのふわふわの布団でしょうか・・・。
大好きな花の香りでしょうか・・・。
あたたかくて甘い飲み物でしょうか・・・。
小鳥のさえずりでしょか・・・。
苦しいときは何もせず、眠ろうともせず、五感で感じるもので好きなモノと一緒にいたらどうでしょうか。目で見る 耳で聞く 鼻で嗅ぐ 舌で味わう 身で感じるものです。
この世は苦しみの世界ですが、その苦しみの地平にたどり着き、存在の苦悩と直面したものは、その地平の先をみることも許さるのではないかと思います。そこにはいろいろなかたちの救いがあります。
HANAさんがいまの苦しみから解放され、その先にある救いの世界を見いだすことができますように、お祈りさせていただきます。仙如
質問者からのお礼
ありがとうございます…
辛すぎです。自分が自分で居られません。