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死にたいという言葉に

回答数回答 1
有り難し有り難し 19

訪問介護で行かせていただく利用者さんで、
80代後半、90代の方でよく、
死にたい、死なせて欲しいとおっしゃる事がありますが、
言葉で何か返せるものはないでしょうか?

おっしゃる方は寝たきりの方ではなく、なんとか動かれ、召し上られる方です。
私からすれば、まだまだご一緒にお話したいと思う方々です。
ご一緒する時間は短く限られ、利用者さんはお一人の時間が長いです。
私もいつかそう思う日が来ると思います。
お坊さんはどうおっしゃるのでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

私なら

何か言葉を返すというより、聞きますかねえ

「なんでそんな風に思うの?」って。
それから、「死にたいって思う様になるまでは生きてて何が楽しみだった?何が喜びだった?」「どんな人生だった?」「次の世代に伝えたいことはどんなこと?」と…

しかし業務上一人の方とそうしてゆっくりお話しできる時間は取れないのでしょうね。何か作業しながら片手間に聞くような話でもなく、じっくり向き合って聞くべき話でしょうし。

それでも聞いてほしいです。

なにかこちらからかける言葉でごまかすのでなく、その方の思いを聞く。何か上手い返し言葉があったとしても満足するのはこちらの心であって、本人の心ではないでしょうから。

最後に、「私もいつかそう思う日が来ると思います。 」とおっしゃるhaco様ですが、ご自身のお悩みなどもありましたらいつでもご相談ください。

ここは皆様のお話をお聞きする場ですから。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

質問者からのお礼

早々のお言葉ありがとうございます。

そうですね、同じ死にたいという言葉でもその方その方で、意味や思いも違うでしょうし、その方の今までや今のお話をお聞きできるように、お話を持っていってみます。
わずかな時間でも真摯に向き合い受け止めてみようと思います。

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